先日のブログで帆船とバウスラスターについてちょこっと書いた続き。
別に続くつもりはなかったのですが、ぼくの船関係のTwitterアカウント
(海図を背負った旅人📫 (@foolz_jp) | Twitter)でのあるツイートに最近いいねがついたのでふと続きを。
ツイートは大阪にある「なにわの海の時空館」という閉鎖された博物館についてです。
2000年にオープン。2013年に閉館した博物館「なにわの海の時空館」のガイドツアー。
— 海図を背負った旅人📫 (@foolz_jp) October 13, 2018
ガラスのドームは建築的には高く評価されましたが来館者は伸び悩みました。
ドームの中には江戸時代の菱垣廻船の復元船がいまでもさびしく残されています。https://t.co/lAgq5lSGx3 https://t.co/lAgq5lSGx3
この施設の目玉は、江戸時代に海運で使われていた菱垣廻船の忠実な復元船でした。
「浪華丸」と名付けられた復元船はは全長23m。
材料や工法まで含めて、現在わかっている範囲でできるだけ忠実に作られました。
約10億円をかけて復元さた船は、大阪湾で帆走実験をしました。
当時、ちょっとしたご縁があってぼくも乗り手として誘われたのですが予定が合わなくて参加できず。
知人が何人も乗っていたのを遠くから指を加えて見ていたものでした。
ちなみに技術的なお話に興味のある方は下記のリンクを。
帆走実験の結果についての報告書です。
予想よりもかなりよく走ったそうですよ。
日本財団図書館(電子図書館) 菱垣帆船「浪華丸」帆走実験報告書
1999年のたったひと夏。
浪華丸は海を走り、そしてガラスのドームに収められ、いまは誰にも振り返られることのないままなのです。
バブル前後を中心に、昔の船の復元船を作ろうというプロジェクトはいくつも実施されました。
その多くは作るまではとても盛り上がるのですが、作った後まで熱量が続いていたケースはほとんどありません。
理由は作っても使いみちがないから。
なにわの海の時空館のケースでは、せっかく航海能力のある船を作ったのに海に浮かべず、陸に揚げてしまいました。
こうなると見る側としては、もう「船」ではなくてただの大きくな「オブジェ」でしかありません。
わざわざ手間やお金をかけて作った意味が感じられなくなってしまいます。
この関係で一番残念だったのは1991年に作られたサンタマリアの復元船。
スペインで作られて、日本まで航海して、当時は非常に注目されたものの、航海後に神戸で陸上展示されてからはほとんど話題になることもなく、船体の痛みが激しいことを理由に2013年に解体されました。
宮城県の石巻市には、伊達政宗が作った西洋式帆船「サン・ファン・バウティスタ」を1990年に15億円かけて復元した船があります。
初期は何度か航海して、その後は石巻市郊外の博物館脇ドックに動態保存されていました。
けれどメンテナンスが行き届かず、東日本大震災の被害もあり、いまは危険ということで公開が中止されて解体が議論されています。
かと言って、実際に復元船で航海するには、かなりハードルが高いのです。
当時の構造を忠実に再現すればするほど、現在の基準では乗客の安全確保が難しくなります。
また「帆船にバウスラスター」でもちょこっと触れましたが、復元性が高いほど航行性能が低いので自力で走ることは難しくなります。
伴走船やタグボートなしでは航海が企画できなくなり、予算や手間がかかるので実際に走らせる機会がほとんど作れなかったりもします。
いま国内でぼくが知る限りではふたつの復元船のプロジェクトが進んでいます。
作ることももちろん大きなエネルギーが必要な大変なプロジェクトなのですが、作った後どうするかも考えないと、残念な結果になってしまうかもしれません。
「歴史に残る船を蘇らせる」はとてもロマンのある話なのかもしれませんが、その後に待っているのは長く続く現実の時間です。
復元船を作るまでに費やした時間やエネルギーが無駄にならないことを祈ります。
ちなみに以前にぼくがまとめた国内の復元船プロジェクトの概要はこちらへ。
ついでなので、復元船と航海がテーマの面白い本を一冊。
1492年、コロンブスの最初の大西洋横断航海で使われた3隻のなかの1隻「ニーニャ号」
1962年にその忠実なレプリカを作り、大西洋横断にチャレンジするノンフィクションです。
資金集めから造船過程から実際の航海まですべてグダグダ。
そして当然ながら航海中はトラブルの連続。
よく死ななかったなあ。というかよく出航する気になったなあ。
そんな感想しかでてこないグタグタの航海記です。