海と劇場、ときどき本棚

2018年の7月に爆誕した何をするのかを模索しつづける会社「ひとにまかせて」代表のブログです

その道はどこへ

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フォローもしていないしフォロワーさんでもないひとなんですが、あるツイートを見ていろいろと考えたことがありました。


 

やり取り自体はそもそも最初から噛み合ってない(リツイート元のツイートで言ってないことについて言及してる)のであれなんですが、

「才能がないと役者をやっちゃダメなのだろうか」という問いかけにはいろいろ思うところがありまして。

 

単純に質問へのぼくの考えは「やってもいい」 です。

誰がどうみても才能なさそうなひとでもやってはいけないってことはないでしょう。

そもそも「才能」なんてあやふやだしひとつの方向に集約されるものでもないし。

若い頃には埋もれていたものが歳をとってから輝き出すことだってあるし。

 

先日、ブログに書いた「DANCE TRUCK TOKYO」に「新人 H ソケリッサ」ってカンパニーが出ていて。
見たのは初めてで名前も聞いたことがなくて、出演者はみんなおっさんで、とてもダンサーとは思えない体型のひともなんにんもいて、技術もまあお粗末で、それでもとても魅力的。
ぼくは見ていて大笑いさせてもらいました。

 

後で調べたら主催のダンサーさん以外は路上生活経験者たちで作ったダンスユニットなのだそうです。

コンテンポラリーダンスが社会的役割を持てるのかを考えるなかで、経験も興味もない路上生活者たちと踊ってみることを始めたのだとか。

 

「ダンス」というジャンルは身体表現なので、肉体の能力とか身体コントロールするスキルとかが観客の目にはっきりとさらされてしまいます。

そんなジャンルでも素養や才能、技術がなくても表現は成立させられるんですよね。

だから「才能」とか「センス」とかあやふやな言葉なんて気にせずに、やりたいならなんでもやればいいと思うんです。

「表現する」ことに真摯であればきっと思いは伝わる。

そう思うんです。

 

ただ、
「好きなことをやり続ける」
「好きなことをやり続けるために、マネタイズする」

は全然違うことだし、

「マネタイズするために、好きなことをやり続ける」

も微妙だけど全く違うこと。

 

小劇場とかダンス界隈には

「好きなことをやり続ける」ために頑張ってるひとはたくさんいる。

バイトしたり会社に勤めてお金を稼ぎ、ノルマを支払って舞台に立ち続けるひとがたくさんいて、その努力には正直頭がさがる。

だけど、それでいいのかなあとも思っちゃう。

まあ、本人たちが幸せならいいんだけど。

 

ぼくはできれば限られた人生をできるだけ好きなことだけをやって暮らしていきたいと思っていて、そのためには好きなことでお金を稼ぐ、もしくはせめてお金を使わないようになりたいと思っている。

20代の頃から好きだった演劇に関わることでお金を稼いでいる。

帆船で大西洋を横断したときは報酬はなかったけど、乗船費はかかってないし、現地までの交通費は出してもらっている。
最近になって始めたいくつかのことも、お金もしくはそれ以外のなにかで自分に具体的なプラスが生まれるように考えてはいる。

(うまくいってるかどうかは別として)

 

そうして好きなことに使える時間が増えれば増えるほど、いろいろな意味で世界が広がるんだけどな。

技術や経験値も増えるし。

いろいろなひとにも出会えるようになるし。

自分の価値があがればさらに先が広がる。

ノルマを払うだけではたどり着けない場所にもたどり着けるようになる。

もちろん、ひとによって目指す場所は違う。

だけどあなたの道は目指す場所につながっているの?

 

繰り返すけど、本人が幸せならばなにも言うことはない。

世の中には、演じ続けられれば、踊り続けられれば、歌い続けられれば、ただ舞台に立ち続けられればそれだけで幸せというひともたくさんいる。

メジャーになりたいとか少しも思ってなくて、うまくなりたいとも思ってない。

でもね、どんなに下手くそでも、幸せそうに舞台に立つ人は見る人をポジティブにさせる力があると思うんだよね。

 

冒頭に引用したツイートのひと。

個人的には全く面識もないんだけど、役者をやっていて幸せなのかな?
余計なお世話だけどそう感じちゃう。

本当に余計なお世話だと思うけど。