海と劇場、ときどき本棚

2018年の7月に爆誕した何をするのかを模索しつづける会社「ひとにまかせて」代表のブログです

ぶれないスキップ

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23歳のときに、大学の先輩たちと舞台照明の会社を立ち上げた。

社長はまだ26歳。最年長も29歳。

事務の女の子も含めて東大と早稲田と慶応の出身者しかいない会社。

無駄に業界一学歴の高い会社とか言われてたっけ。

夢とか理想とか、まあ20代ならば誰でも抱くような理想や野望。

いろいろあって創立メンバーは全員離れたけど、いまでもその会社は舞台業界を生き抜いている。

 

会社立ち上げ当時は無茶な仕事もたくさんやった。

作業量と時間と予算の見積もりが甘かったこともあったし、表現と仕事のはざまを見失ったこともあった。

それでも、自分たちの好きなことを仕事にしてそれが評価されることは嬉しくて。

体力でなんとかできることならいくらでも乗り切れた。

朝からずっと身体を動かし続けて、夜中の2時に倉庫に戻ってやっと作業が終わって、そのまま焼き肉を食べて翌朝9時に次の現場に向かう。

よくそんなことができたなあって、いまとなっては感心する。

 

最近、知人が書いた増田セバスチャンさんのインタビュー記事を見た。

telling.asahi.com

きゃりーぱみゅぱみゅのMVでのアートディレクションから注目を集めて、いまではアーティスト、ディレクターとして様々や分野で世界的に活躍している。
彼を最初に見たのは、会社員時代の何もかもがとんでもなかったあるライブイベントの出演者としてだった。

その時の彼はただの若いダンサーで特に強い印象も受けなかった。

 

というか、こっちはそれどころじゃなかったので。

リハーサルの始まるまでの数日間、連日始発から終電まで働き続け、それでもタスクは全く終わらず。

照明だけではなくすべてのセクションがそんな感じて、劇場のなかで限界を超えた人たちがゾンビのように働き続ける、そんな現場だった。

予定は押しに押して、初日の開演時間が近づいてもリハーサルは終わらず。

照明デザイナーでもあったウチの社長は別の現場があったので途中で姿を消してしまった。

社長の代わりができるのは立場的にぼくしかおらず…なにも状況を把握しないままデザイナー席に座り、初対面の演出家と相談しながら明かりを作りオペレーターに指示をする。

リハーサルが終わり、初日のステージに向けての準備が始まった時点で、公演時間をもう2時間以上過ぎていた。

連日のハードワークで限界に達していたので、本番メンバーにあとのことを任せてぼくは劇場を出ました。

まだインスタレーションを作っている人がいる開演直前とは思えないロビーを抜け、入口前のファサードに集まった、2時間以上開場を待っているお客さんの冷たい視線にさらされながら、心の中でぼくのせいじゃないんです、ぼくは自分にできるベストを尽くしたんですと言い訳しながら劇場を出ていったのは、後にも先にもこのときだけの懐かしい思い出です。

 

そんなひどい現場が最初の出会いだったので、それからもセバスチャンさんと現場ですれ違ったり噂を聞くたびに、なんとなく気になってはいました。

舞台の世界とも近づいたり離れたりして、彼はどこに行くんだろうなあと。

向こうはぼくのことこれっぽっちも知らないと思いますけど。

 

スタッフって割と早い時期に経済的にもアイデンティティー的にも自立できるけどその分スケールが小さいんです。
アーティストさんはなかなか評価されない人や夢破れて散っていく人が圧倒的に多数だけど、評価されればとてつもなく遠くに行ける。

改めて彼のこれまでの歩みを見ていると、舞台からショップ、そしてアートとジャンルをスキップしながら活動している。

でも、その本質はぶれていないのかなと感じました。
客観的な評価を得ることの難しいフィールドで、自分のやりたいことに誠実であり続けて、そして評価されることはとても大変なことなんだろうなあと。

外から見たジャンルではなくて、自分の内なる欲求に正直であること。

大切なのはそういうこと。