発音クラスの講師、ポチャかわいいIrishにお菓子を献上しました。
昨日、買い物に行ったスーパーで見つけた、細長くて棒状になったマシュマロ。
三色のマシュマロがロープのようにねじれて一本の棒になっていて見た目がとてもかわいい。
カラフルでふわふわした感じがIrishの雰囲気とピッタリ。
授業前に渡したところとても喜んでくれましたが……
「マシュマロ大好きなんだけど…いまダイエットしてるんだよね」
「そうなの、ぼくはそのくらいのでもいいと思うんだけどなあ」
「デブはいやなのよね。もうちょっとスリムにならないと」
「そんなことないよ。いまでも十分かわいいよ」
「うふふ、ありがとう。後で食べるね」
みたいな会話があって、授業が始まりました。
昨日、スピーキングのクラス中に講師のEvaが「デブ」という単語を使っていて、その時は日本語のデブのことだと思いこんでいたものの、あとから知らないdebuっていう英単語なのでは!?と思いついたのですが、今日のIrishとの会話のなかで間違いなく日本語の「デブ」だとわかって安心しました。
昨日のEvaは他にも「イケメン」とか「チャラ男」とか言ってたし、今日のIrishもダイエットの話題のなかで「ボン・キュッ・ボン」とか言ってて。
みんなどういう日本語を教えてるんだか。
授業が始まって10日。少しずつ自分の感覚が変わってきているのを感じます。
といっても、英語でしゃべるのがうまくなったとか聞き取れるようになったということではなくて。
スピーキングの授業には一応テキストはあるのですが、テキストのテーマからのフリートークが中心になります。
一週目は講師からの質問にただ答えるだけでした。
どこで生まれたの。
どういう仕事なの。
休みの日にはなにをしてるの。
日本語でも答えにくい、どうして結婚しないの、みたいな質問もあって、ただ英語で答えるだけで精一杯でした。
二週目に入って、ほんのすこしだけ英語で話すことに慣れてきて。
心に少しだけ生まれた余裕は、目の前の相手への興味へと変わっていきました。
そうすると、会話の流れが少しだけ変わってきます。
相手から質問されるだけではなくて、こちらから相手のことを聞き返したり。
聞かれたことにただ答えるだけではなくて、話を少しだけ広げてみたり。
日本語で、初対面の誰かと話すときと近い感覚で話ができるようになりました。
話してみると、当たり前ですがひとりひとりに個性があって。
そしてひとりひとりの物語もあって。
VJは南部のミンダナオ出身でひとりで都会に出てきて寂しがり屋で。
Evaは数学教師になるのが目標で、もうすぐここを辞める。
そんなふうに、目の前にいる彼女たちの物語を見られるだけの気持ちがやっとぼくの中に生まれてきて。
ふと、数年前に参加した西村佳哲さんのインタビューのワークショップを思い出しました。
西村さんの考えるインタビューで一番大事なことは
「眼の前の相手への興味を持ち続けること」
そこから芽生える共感やシンクロがいいインタビューを生み出す、そういうお話でした。
そう考えると、「英会話学校で日本人相手に言葉を教える」という行為はなかなか興味深く感じられます。
スクールの講師たちは英語の文法や発音を教えると同時に、相手の話をきくことも仕事、そう思えるのです。
授業の間、彼女たちは生徒に関心を持ち続けています。
会話の中身を気にしつつ、英語のできない生徒のなかから言葉が生まれるのをじっくりと待つ。
会話の間違いをさり気なく訂正して正しい使い方を伝え、うまく伝えられない思いをわかりやすい英語に翻訳して聞き返してくれる。
教える仕事なのと同時に、きく仕事なんじゃないかな、そう感じるのです。
ぼくらの言葉と、ぼくらの言葉にできない気持ちの両方を。
言葉の通じない相手に興味や関心を持ち続けることは難しい。
海外に行ったときに、言葉が通じないせいで、目の前の相手とコミュニケートすることをめんどくさいと思いたくない。
ぼくが英語を学ぼうと思った理由はそのあたりです。
そういう意味では、講師の彼女たちは教えるプロであると同時に、コミュニケートのプロでもあるんだなあと感じたり。
まあプロなんで逆にオン・オフの切り替えもはっきりしてて。
授業のない時間には講師同士で現地語でじゃれ合ったり騒いだりしてる姿も面白いんですが。
写真は来週でここを辞めるEvaにあげようと思ってるプレゼントです。