海と劇場、ときどき本棚

2018年の7月に爆誕した何をするのかを模索しつづける会社「ひとにまかせて」代表のブログです

自信とかを根こそぎなくしても舞台で生きる

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フリーランスで舞台照明のお仕事をしているのと、ぼく自身の性格もあって、割と幅広いジャンルで、そして一流のプロレベルからアマチュアレベルまでと上から下まで、いろんな作品に関わります。

最近では大学で演劇や音楽、ミュージカルなどを教えるところも増えたので、そういう学生さんの発表会やショーケースを目にすることも増えました。

 

大学の発表会などに関わっていると、いろいろと考えさせられることもあります。

学生さんたちはみな表現者になることを目指し、それぞれ夢や自信もあって大学で学ぶことを選択したのだと思います。

そして、同じ学校で同じ時間を過ごしているはずなのに、舞台に立ったときにひとりひとりがあまりにも違って見えることがあって。

 

技術が理由ならばまだ納得できます。

歌、ダンス、演技。

これからでも時間をかけることで成長できる可能性があることならば、努力すればいいんだと。

(まあそれでも絶望するくらいの差を感じることはありますけど)

 

でも目に見えないもの。

オーラや雰囲気と言われているもの。

ぼくはそんなものはないと思っていました。

というか、ない方がいいと感じていました。

そんな先天的な、努力で埋められないものが人間の評価の基準になってほしくないって。

 

でも残念ながらいるんです。

同じ年頃で、少なくともここ何年かは同じ環境で同じものを見て過ごしてきているはずなのに、ただ立っているだけで、動いているだけで、断然人目を引いてしまう人は。

顔立ちやスタイルが際立っているわけではなく、歌やダンスのスキルが圧倒的なわけでもなく。

それなのに人を引きつける力のある人が。

 

多分、舞台に立つことを志すような人たちだから、誰しもがそれまでは周囲から目立つ存在だったのでしょう。

そういう人が集まったなかでも一際、輝いて見える人。

そんな人もいたりするのです。

 

ある卒業公演の最後に、教授がこんなことを言っていました。

 

ここに来るような人はみんな自分のなにかに自信をもって来ているはずです。

歌だったり、ダンスだったり、あるいは舞台への愛情だったり。

でも大学にきてそれぞれ挫折を味わったはずです。

自分が持っていた自信を打ち砕かれたと思います。

でも、そこから始まるんです。

 

ちっぽけなプライドが粉々にされて、そこからどう生きていくのか。

どうやって、生き残っていくのか。

そのことに真剣に悩んでからが、本当に舞台で生きるということ。

そんなふうに思うのです。