買い物にでかけて信号待ちをしていると、地元の女の子に話しかけられました。
英語じゃなくて多分セブアノ(現地語)で。
たぶん、道を聞かれたんだと思います。
いわゆるヤバイ場所ではないし、相手もごく普通の服装だったので。
英語でわからないっていったら、すっと離れていったし。
アジア圏を旅していると道を聞かれることがよくあります。
中国でも韓国でも、なんども道を聞かれたことが。
なんでですかねー。
ある市会議員さんの映画「万引き家族」へのツイートが話題になってるようです。
行政は子どもの教育や健全な成長にに大きな努力を払っている。
それなのに、映画にでは学校に通えない子どもに対して、行政はなんの働きかけもいていないと誤解されるように描いている、という主旨です。
元ツイートだけみるとけっこう?ですが、その前後のツイートもまあ言いたいこともわからないではないかなとも思います。
まあ若干(というかかなり)言葉足らずなところがあるとは思いますが。
そのおっしゃっている内容はともかくとして、気になるのはその方が映画を見ていないと断言していることです。
見ていないけど映画の内容について言及してるんですよね。
最近、日本にはこんなエスパーみたいな方が増えてますね。
おっしゃっていることがそれほど突拍子もないことではないだけに、普通に自分の主張や行動についてかけばいいのに、どうして見てもいない映画を非難するようなことをするんだろう、もったいないと思うんです。
もしかすると炎上狙いなのかもしれませんが、炎上で生まれた議論がいい場所に着地するケースなんてとても少ないんですけどね。
少し前までのこの国では知らないことに対しては口をつぐむかもう少し控えめに発言するのが当たり前だったような気がするのですが、ぼくがもう古いのでしょうか。
昨日のスピーキングクラス、先生のJanaはとても物腰の柔らかい男性で、フィリピン人の騒々しいところはあんまり好きじゃないと言い切るひと。
だけど友達どうしで騒ぐのは好きだし、お酒もけっこういける口みたい。
話題は日本とフィリピンのローカルフードになり、
豚の脳みそ、バロット(孵りかけのヒナの入ったゆで卵)、鳥の腸
VS
納豆、馬刺し、ふぐ
味や食べ方についていろいろと話は尽きなくて、結局、最後にはお互い相手の食べ物に、
「いやー、それは無理」
と言い合う展開でした。
とはいえ、相手を拒否しているわけではなくて。
お互いに相手のカルチャーや習慣に興味があって、だからこそいくらでも話ができるんです。
気に入らないひととはまずは話してみればいいのに。
ぼくはいつもそう思うんですけどね。
話して、そして聞いてみればいいのに。
そこからきっとなにか新しいものが見えてくるはずなのに。
自分が言及している相手への想像力、そして自分が知らないことへの想像力。
ツイッターはツールとしてはすばらしいけど、ぼく自身も自分勝手に言いっ放しにしてしまうことが多くて、とても怖いなあと感じます。
自分が世界の全てではないこと。
自分とは違う誰かもこの世界で誠実に生きていること。
そのことへの想像力だけは大切にしたい、そう思います。
写真は帰り道でみかけたジムの看板。
名前にグッときたので撮ってみました。