海と劇場、ときどき本棚

2018年の7月に爆誕した何をするのかを模索しつづける会社「ひとにまかせて」代表のブログです

自分の場所

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大学を休学して、半年ほどオーストラリアにワーキングホリデーで滞在していた友人が帰国したので食事をしました(20代の男性です)

その行動だけを見ていると、勢いとチャレンジ精神にあふれた、破天荒なキャラクターに見えるのですが、実はとても繊細で真っ当な感覚を持っていて、そのあたりのギャップもぼくは好きなのですが。

バーテンダーとして働きながら、合間にトレッキングに出かけたりして、現地での生活を楽しんでした彼が帰国して思ったのは「自分には普通に生きる力が足りなかった」ということなのだそうです。
海外に出て生活して、さらに自然のなかに身を置いたりして感じたことが「普通」への思いだったというのはとても面白いと思いました。

 

1月に、フィリピンに一ヶ月間留学したとき、通っていた語学学校にはワーホリに行きたいや海外で働きたいと考えている若い人がたくさんいました。

そのこと自体は素晴らしいと思う一方で、あまりにもみんなが真っ直ぐに同じような夢を持ってることになんとなくの違和感を感じたりもしていました。

そこはゴールじゃなくてスタートなんじゃないかな。

それをちゃんとわかってるのかなって。

うん、老害のたわごとです。ハイ。

ちょっと眩しくて羨ましかったりもして。

 

その一方で、海外生活を体験して、

「普通の人が働いて、掃除して、洗濯して、食事を作って暮らすのってすごく大変なこと。自分はそういう当たり前のことが全然できてなかった」

という感覚にたどり着く20代がいるというのはある意味ではとても頼もしい気もしたのです。

 

「遠くに行く」ということは足元を疎かにすることではない、ぼくはそう思います。

アーティストや小説家として大成するには常識を知らないといけないと言われています。

誰もが知っている「型」を知っているから「型破り」に生きることができ、作る事ができる。

「型」を知らずになにかを作ろうとしても、それは新しくも魅力的でもないただの「形無し」

そして真っ当に生きる大切さを知った上で、それでも日々の暮らしから遠くへ離れて暮らすことを選んでしまう悲しさや覚悟。

表現で生きようとする人にとって、リアルや日常がどこにあるのかを知っておくことと自分がそこからどれくらい離れているのかを認識していることは、とても大切。

その葛藤が人の強さになる。

だから、これまで遠くにばかり眼差しを向けていたのに、足元の大切さを感じた彼が、これからどう生きていくのか、ぼくはとても興味深いのです。