海と劇場、ときどき本棚

2018年の7月に爆誕した何をするのかを模索しつづける会社「ひとにまかせて」代表のブログです

猥雑で薄汚れた、だからこそキラキラした世界

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仕事柄、世の中では有名な俳優さんや演出家、作家さんに会うことがよくあります。

そんな話をすると羨ましがられることも多いのですが、ぼくにはそういう感覚があまりよく分かりません。

もう少し言うと「ファン」という存在そのものがあまりわからないのです。

 

大好きな作品があっても、それを作った人に会えて嬉しいという感覚があんまりないんですよね。自分の中で。

小説や演劇作品、俳優としての役作りに魅力を感じているのだから、それと関係のないところでつながることにとくに興味を感じないのです。

例えば「サインをもらう」という感覚が本当に理解できなくて。 

あれは、なにがうれしいんでしょうか?

 

そんなぼくなのですが、ほとんど唯一の例外は物語作家の栗本薫さんです。

もうすぐ彼女がお亡くなりになって10年。

「世界でいちばん不幸で、いちばん幸福な少女」は元SFマガジン編集長で仕事のパートナーであり、そして夫でもあった今岡清さんによる、彼女との想い出を綴った一冊です。

 

ふたつのペンネームを使い分けて様々なジャンルで活動し、約30年間の活動期間に400冊ほどの作品を発表した多作の流行作家。

中学2年生で彼女の「グイン・サーガ」という本を手に取っしまったことが、その後のぼくの生き方に大きな影響をもたらしました。

 

とはいえ、どうしてそこまで心惹かれたのか、正直よくわからなかったりもしてたんですが、この本を読んでなんとなく思い当たるところがありました。

強さと繊細さの二面性。

 

ミュージカルの演出などもなさっていたので、その縁で少しだけ仕事でのお付き合いがあったのですが、そのときも同じような印象を受けていました。

エネルギッシュでいつも前に向かって進み続ける一方で、そこはかとなく漂う危うさ。

多分、彼女の作品のあちこちにそのアンバランスさは滲み出していて。

いや、モノを作る人ならほとんどはそういうバランスの悪い部分があるのでしょう。

だから、たまたま出会ったタイミングだったのかもしれません。

まだティーンエージャーで世界の前で足をすくませていたからこそ、大人で社会的に成功しているように見えた彼女のなかにある震えを敏感に感じ取れたのかもしれません。

 

この本では一章を割いて彼女と演劇との関わりについて書かれています。

本来は内向的で、自分の書きたいものをただ書き続けていたかったであろう彼女は、演劇の世界で暮らすことで、金銭的にも精神的にもダメージを受けていて。

それでも30本近い作品を演出して必ずしも居心地がいいだけではない演劇の世界にとどまり続けた。

小説を書くだけではなく、たくさんのものを失っても演劇の世界でも生きようとした、そこは自分とってもなんとなく共感するところでもあります。

傷つくことがわかっていても、猥雑で薄汚れた、だからこそキラキラした世界に惹かれてしまう。

演劇の世界との関わりは、そんな彼女の生きる姿そのものだったのかもしれない。

 

ちょうど一年ほど前にも、栗本薫さんについてブログに書いてた。

20minute.hatenablog.com

彼女の根本は「物語る人」

自分が面白いと思う物語をただ語り続ける。

だけど、ただ語るだけでは足りなかったんだろうなあ。

物語が世界と溶け合う。

小説だけではなく評論を書いたり演劇をやったり楽器を演奏したり。

自分の物語が現実の世界を生きること。

それが彼女の見たかった世界なのかもしれないな。