2000年から2004年の5年間、帆船関係でわりとよく海外に行ってました。
2000年のSAIL AMUSTERDAMに、帆船「あこがれ」のボランティアクルーとして、初めての海外帆船レース、イベントを体験したことが始まり。
2002年のSAIL KOREAには帆船「海星」のボランティアクルーとして参加。
2003年の春にはイギリスの帆船「ロードネルソン」にトレーニーとして乗船。
同じ年の秋には、アメリカで帆船を運用する2つの団体を視察させてもらいました。
どれも普通に楽しい体験だったのですが、それから帆船に乗るために海外に出かけたことはありませんでした。
理由はあるようなないような…。
舞台の仕事が忙しくなってきて、十分に時間が取れなくなったということも確かにあります。
そして2001年に取ったある賞の賞金が海外に出かける原資だったりもしたので、単純に自由にできるお金が少なくなったというのもあります。
でももっとシンプルに、自分のなかで最初の興奮が一段落してしまった、ということも大きかったのかなといまになると思ったりもします。
海外で帆船に乗ることは確かに楽しいけど、多分ぼくは帆船に乗ることそのものよりもそこから生まれるものにより価値を感じていました。
もちろん、海外でもそういう楽しさはありました。
イギリスには3週間ほど滞在していて、航海のない日はずっとメンテナンスを手伝っていました。
観光にはあまり興味がないのでそっちのほうが断然楽しかったからなんですが。
けど周りからは
「あいつ、なんでわざわざ日本から来たのに毎日メンテしてるんだ?」と不審がられて、
「もしかしてひとりで出かけるのが怖いんじゃない?」って思われたらしくて、
最終的にはクルーのひとりがエスコートしてくれて半日のロンドン観光に連れ出してくれました。
またぼくが舞台関係の仕事をしていると知ったボランティアクルーのひとりはお芝居に誘ってくれたりもしました。
アメリカでは2000年の大西洋横断レースに出たという人とたまたま知り合い、レースやアムステルダムでの思い出話に花が咲いたりもしました。
帆船関係、ヨット関係の人にもいろいろ紹介していただき、イベントに呼んでいただいたり、ヨットでのクルージングを楽しんだりすることができました。
ホームパーティーに呼んでいただき、豚汁を作って大評判になったこともありました。
とはいえ、やはりどうしてもコミュニケーションの壁があって。
そしてそれは自分の心のあり方に問題があったのです。
英語がうまくないということもありましたが、それよりも、まだ自分で自分の心のことがよくわかっていなくて。
なので長く海外の知らない人の間で暮らすなかで、自分の心がうまくコントロールできないことも多かったのです。
なので同じように帆船に乗るなら海外よりも日本のほうがいい、そう思うようになったんです。
実はおととしくらいに、自分の取説がアップデートされました。
このことはまたどこかで詳しく書きたいのですが、あることがキッカケで、自分の心のあり方についてより詳しく知ることができたのです。
何が得意で何が苦手で、何が好きで何がキライなのか。
そして心のコンディションをキープするにはどうすればいいのか。
そんなことがわかったことで少しだけ余裕も生まれて、そのおかげで知らないことにチャレンジする勇気も少しだけ湧いてきたみたいで。
そしていま、また海外で帆船に乗ってみようかなって思ったりもしてます。
まだ元気で航海も知らない船や海もたっぷりと楽しめるだけのエネルギーが残っている間に。
そう思ったときにふと頭に浮かんだのが「ケープホーナー」という言葉。
南米最南端のホーン岬。
そこはいつも風が強く、潮流が速く、世界でも指折りの海の難所と呼ばれています。
大航海時代にはここで事故を起こした船もたくさん。
だからホーン岬を越えた帆船乗りは「ケープホーナー」と呼ばれて仲間から一目置かれていたそうです。
どのくらい尊敬されていたかというと
「食事のときにテーブルに足を投げ出してもOK」
なんだとか。
……
……
……
(だって本にそう書いてあったんだもん)
日本人だと、世界一周ヨットレースに何度も挑戦しているセイラー、白石康次郎さんがホーン岬をセイリングで越えてます。
ご本人とお話したことがあるのですが、白石さんは足を投げ出してもいい話はご存知なかったようですが、ケープホーナーは金のイヤリングを身につけるって話を聞かせてくださいました。
ご自身もレースでホーン岬を越えたあとで、レース運営からイヤリングをプレゼントしてもらったそうです。
ということで、ケープホーナーを目指します!
南米は(というか南半球にも)行ったことがないしちょうどいい。
いくぜ!ホーン岬!