海と劇場、ときどき本棚

2018年の7月に爆誕した何をするのかを模索しつづける会社「ひとにまかせて」代表のブログです

500年前

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一ヶ月も日本を留守にしていて、まあいろいろと滞っている上に、帰国してからもなんだかんだであまり物事の捗らない精神状態に陥っていまして。

いろんな人に迷惑かけたり心配されたり呆れらられたりしてるわけですが、にもかかわらず映画を見に行きました。

だってフィリピン人の映画監督が撮影した、マゼランの奴隷をテーマにした映画だったんです。

たまたま先日まで滞在していたセブ島がマゼランが最後を迎えた島で少し気になっていたドンピシャのテーマ。

そしてこないだケープホーナー目指すって言っちゃったし。

さらに、探検家の石川仁さんがその監督と以前に少し関わりがあって映画を紹介していて。

その映画がたまたまこのタイミングで見られるのはものすごい偶然じゃないかと思ったのです。

 

「500年の航海」は1521年に歴史上初めて世界一周航海を成功させたマゼラン艦隊に、指揮官マゼランの奴隷として乗り組んでいたエンリケが主人公。

エンリケについての細かいことはわかっていませんが、元々はマラッカ周辺(マレーシア、インドネシア付近)の出身で、1511年に当時東南アジアに赴任していたマゼランの奴隷になりました。

その後、マゼランについてヨーロッパに渡り、彼の西廻りでの世界一周にも付き従いました。

マゼラン艦隊が大西洋から南米を超えて太平洋に出て、太平洋を渡っていまのフィリピンにたどり着いたときに、島の住人とエンリケの言葉が通じたことから、マゼランは西廻りで東南アジアに到達したことがわかったのです。

マゼランはその後、セブ島近くのマクタン島で島の王に殺されます。

その前後のゴタゴタのなかでエンリケは行方不明に。

もしも彼が、その後生まれ故郷に戻っていたとしたら、そのタイミングによってはエンリケは「歴史上初めて世界一周した人」だったかもしれないのです。

 

この映画の撮影が始まったのは1980年代の初め頃。

それからいろいろあって35年後の2015年に一応の完成をみました。

ということで、いろんな時代にいろんな機材で撮られた映像が継ぎ接ぎされていて、とても不思議な雰囲気の作品になっています。

舞台も1500年代から現代まで、エンリケの物語と現代のフィリピンでひとりの男を探すの物語が、そして監督タヒミックの現実の暮らしが折り重なって、夢を見ているような気分にさせてくれます。

 

そんな作品なので観た人それぞれがまったく違う印象や感想を持つと思います。

ぼくは土地と人との関わりについて考えさせられました。

監督のタヒミックさんは元々はフィリピン大学を出てアメリカの大学院で経営学の学位を取ってヨーロッパで働いていた、スーパーエリートみたいな人。

それがそんな人生からドロップアウトして、西欧の文化にさらされるアジアをテーマにした作品を撮り続けてきた。

そしていまはフィリピンの古い文化や風習、生活様式などを守るような活動もしているらしい。

 

最近、地域活性の文脈のなかで、土の人、風の人、みたいなお話がよく出てきます。

土の人は地域で暮らし、地に足をつけてその地域の文化や習慣を受け継いで暮らしていく人。

風の人は外から様々なものを運んでくる人。ものや情報、考え方や意識など。そして地域のことを外へ発信する。

ぼくはもちろん土の人ではないのですが、かと言って風の人かと言われるとそんなこともなくて。

たぶん、何からもどこからも自由でいたいのです。

東京で暮らしているのも東京という土地が好きだからではなくて、東京が日本のなかでいちばんどこでもない場所でもあるから。

どこにも根を張ることもなく、そして通り過ぎることもなく、世の中と全く関わりもなく自分のことだけを考えて暮らしていきたい。

それがぼくの小さな望みで、だから海に出ることが好きなのかもしれません。

 

「500年の航海」で語られている世界はとても魅力的だけど、海の人の視点はなかった。

でもそれも仕方がない。航海をしている人の物語ではなくて、エンリケが連れ去られて帰ってくる物語なのだから。

映画の原題はタガログ語で「出稼ぎに行った人が戻ってくる」という意味の言葉なんだそうです。

うん、確かにそのほうがしっくりくる。

航海の物語じゃないから。