柏まで映画を見に行きました。
どうしてわざわざ柏まで行ったかと言うと、関東でこの映画を上映している映画館が柏と小田原しかなかったからです。
マイナーな作品なので仕方ないですけど。
「喜望峰の風に乗せて」は2017年に作られた実話を元にした映画です。
1968年に開催された単独無寄港世界一周レースとそこで起きたある事件について描かれています。
イギリスでは1996年にフランシス・チチェスターが史上初めてシングルハンドでの世界一周(シドニーに一度だけ寄港)を達成してナイトに列せられたことから外洋航海に注目が集まっていました。
何人かのセイラーが単独無寄港での世界一周航海へのチャレンジを計画していた最中、チチェスターのスポンサーでもあった高級紙サンデー・タイムズは「ゴールデン・グローブ」という単独無寄港世界一周レースを開催したのです。
ちなみにこの時点で達成者はゼロ。
世界初の名誉と現在の価値で4000万円ともいわれる高額の賞金で世間の注目を集めていました。
映画の主人公は週末にヨットを楽しむくらいで外洋航海の経験もないアマチュアセイラー、ドナルド。
航海計器の販売会社を営んでいたものの経営は苦しく、自分が開発した機器と会社のPRのためにレースに参加したのです。
船を作る段階からいくつもの問題が発生して予定は大きく遅れ、スタート期限ギリギリに準備が不十分なままドナルドは長い航海に乗り出すことになりました。
当然、航海はトラブル続き、船体にも不具合が次々と見つかります。
このまま航海を続けることはとても難しいけれど、レース資金を得るために会社と自宅を抵当に取られているために、航海を辞めてしまうと破産してしまう…
進むことも戻ることもできないなかで彼が選んだのは航海記録の偽装。
危険な南氷洋に乗り出すことなく南大西洋で時間を過ごして、他の船が戻ってきたのを見計らってレースに復帰するというもの。
けれど海の上で良心の呵責とともにひとりきりで過ごす時間は徐々に彼の精神を蝕んでいきます。
レースが終盤に差し掛かったころ他の参加者のリタイアもあり、彼がレースに優勝してしまう可能性が出てきてしまいます。
自分の不正が露見してしまう恐れから彼はますます苦しみます。
船はイギリスに近づき、陸に帰ることが現実になろうとしたころ、彼の船からの連絡は途絶え、無人で漂流する彼の船が発見されました。
ドナルド本人はいまもって行方がわかりません。
映画は悪くはありませんでしたがそれほどよくもない気がしました。
レースが始まるまではとても緻密な印象で彼がレースに出るまでの心の動きが丁寧に描かれています。
航海中の船上での描写は、ヨットに乗っているぼくから見てもとてもリアルに感じられました。
ただ、ドナルドの心が追い詰められていく後半は少し肩透かしな印象も。
とはいえ、無線を切って周囲との連絡を絶って、狭いヨットにひとりでいるというシチュエーションだと表現が難しいなあとも感じました。
観る前、そして前半を観ている間も、これ後半どう描くんだろうと思っていたのですが、ある意味では想像していたレベルよりも悪くも良くもなかった。
そこが少し不満と言えば不満です。
興味深かったのは、主人公と社会との関係性がいまの世の中にも十分当てはまること。
(意図的にそう描いていたのかもしれませんが)
レース前、スポンサーや協力者を募るなかでヨット経験が浅いことを指摘された主人公は、
「単独無寄港世界一周はこれまで誰もやっていないのだから、経験値は横一線」
「週末セイラーの自分だからこそ、達成したときの注目度は計り知れない」
と反論します。
そしてPR担当として雇ったジャーナリストは捏造スレスレの記事で彼をブランディングしていきます。
実際にはヨットの建造は遅れ、船体には不具合や未完成な部分がいくつもあり、装備するはずだったオリジナルの機器や安全装置は間に合いませんでした。
出航期限の前日、ヨットビルダーからは準備不足から棄権を進められます。
彼自身も航海への不安を感じていたのですが、航海についてはなにも知らないスポンサーやジャーナリストからの説得に応じて、危険な航海に乗り出してしまいます。
航海の途中、船のトラブルと技術不足から航海距離が伸びないことに悩み、航海記録の偽装を始めるのですが、それは当時の世界最高レベルというあまりにも非現実的な速さだったのです。
そのことが人々の期待をあおり、洋上にいる主人公の預かり知らないところで大きな盛り上がりをみせてしまうのです。
自分を大きく見せるための景気のいい言葉。
リソースを最大限に大きく見せるブランディング。
そして行き過ぎたPRから生まれる葛藤。
最後には大きくなりすぎてしまった嘘の自分を引き受けられなくなっしまった彼の末路は、現代でもどこにでもある物語なのかもしれません。
あんまり他人事にも思えないところもありまして。
そもそも準備不足のまま危険な航海に乗り出してしまったことが大きな間違いですし、それを修正することができないまま嘘を重ねてしまったことも問題です。
でも、すくなくともぼくには彼を責めることなんてできない気がします。
期待やしがらみのなかでいつでも正しく選択を続ける、そんなことができる人なんてごく少数。
準備中から「いつでも辞めればいい」といい続け、レース中も「栄誉なんてなくていい、ただ無事に帰ってきてくれれば」と語り続けた彼の奥さん。
主人公は壊れゆく精神の中で彼女の幻想と語り合い、通信状況の悪いなかでなんとか彼女と連絡をとろうとします。
この映画の原題は「The Mersy」日本語だと「慈悲」
どうしてそういうタイトルにしたのか、少なくとも日本語のタイトルよりはずっとしっくりくる気もします。
すべてを投げ出して奥さんのところに返ればよかったのに。
それができなかったのが彼の最大の失敗で最大の悲劇だった、ぼくはそう思うのです。