海と劇場、ときどき本棚

2018年の7月に爆誕した何をするのかを模索しつづける会社「ひとにまかせて」代表のブログです

根府川の海

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中学生のとき、茨木のり子さんの「根府川の海」という詩を読んでから、「根府川」という駅にあこがれていた。

その頃、兵庫県の尼崎市というところに住んでいて、神戸の学校に通っていてた。

海が遠いってことはなかった。

学校は山の上にあったので、教室の窓からはいつも海が見えていて。

繁華街からぶらぶらと歩けば港につく。

電車でいつもより30分ほど遠くに行けば、海水浴だってできた。

海沿いの公園はお決まりのデートコースだった。

 

第二次世界大戦が終わったのが茨木のり子さん19歳のとき。

東京の大学に通っていたその頃のことを書いた詩。

なんなら授業も聞かずに毎日海ばかり眺めていた中学生のぼくは、どうして海の詩なんかにあれほど惹かれたのだろう。

 

大人になって、東京で暮らし始めた。

根府川の海はいつも心の片隅にあったけど、小田原と熱海の間というのは毎日の暮らしからは微妙に遠くて。

東京は海沿いの街だけど、ただ生きるだけだと海を感じる機会は驚くほど少ない。

だからといっと特に不便なこともないけど。

 

ある日、ふと思い立って電車に乗った。

海に沿った崖の上にその駅はあって。

なにもない駅。思っていたよりずっとなにもない。

ホームに立つと見下ろす海だけはどこまでもただ広くて。

 

 沖に光る波のひとひら
 ああそんなかがやきに似た
 十代の歳月
 風船のように消えた
 無知で純粋に徒労だった歳月
 うしなわれたたった一つの海賊箱

 

それから30年近くが経って、いまもときたま根府川を通り過ぎる。

いつしかぼくは人生の一部を海で過ごすようになった。

それでも初めて駅に降りてみたときから、海はまるで変わらずそこにある。

理不尽で、きまぐれ。

そこで生きようとするととても厳しい海も、この駅から眺めるととても優しく感じられる。

もっと海に近い駅もいくつも見てきた。

もっと澄んだ海も、もっと明るい海も。

それでもやっぱりここからの海は、ぼくにとってはどこか特別な海。