中学生のとき、茨木のり子さんの「根府川の海」という詩を読んでから、「根府川」という駅にあこがれていた。
その頃、兵庫県の尼崎市というところに住んでいて、神戸の学校に通っていてた。
海が遠いってことはなかった。
学校は山の上にあったので、教室の窓からはいつも海が見えていて。
繁華街からぶらぶらと歩けば港につく。
電車でいつもより30分ほど遠くに行けば、海水浴だってできた。
海沿いの公園はお決まりのデートコースだった。
第二次世界大戦が終わったのが茨木のり子さん19歳のとき。
東京の大学に通っていたその頃のことを書いた詩。
なんなら授業も聞かずに毎日海ばかり眺めていた中学生のぼくは、どうして海の詩なんかにあれほど惹かれたのだろう。
大人になって、東京で暮らし始めた。
根府川の海はいつも心の片隅にあったけど、小田原と熱海の間というのは毎日の暮らしからは微妙に遠くて。
東京は海沿いの街だけど、ただ生きるだけだと海を感じる機会は驚くほど少ない。
だからといっと特に不便なこともないけど。
ある日、ふと思い立って電車に乗った。
海に沿った崖の上にその駅はあって。
なにもない駅。思っていたよりずっとなにもない。
ホームに立つと見下ろす海だけはどこまでもただ広くて。
沖に光る波のひとひら
ああそんなかがやきに似た
十代の歳月
風船のように消えた
無知で純粋に徒労だった歳月
うしなわれたたった一つの海賊箱
それから30年近くが経って、いまもときたま根府川を通り過ぎる。
いつしかぼくは人生の一部を海で過ごすようになった。
それでも初めて駅に降りてみたときから、海はまるで変わらずそこにある。
理不尽で、きまぐれ。
そこで生きようとするととても厳しい海も、この駅から眺めるととても優しく感じられる。
もっと海に近い駅もいくつも見てきた。
もっと澄んだ海も、もっと明るい海も。
それでもやっぱりここからの海は、ぼくにとってはどこか特別な海。