海と劇場、ときどき本棚

2018年の7月に爆誕した何をするのかを模索しつづける会社「ひとにまかせて」代表のブログです

ドラマはどこにあるのか

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3月の後半から2週間、帆船みらいへにサポートクルーとして乗船してきました。

「みらいへ」は日本で唯一、一般の人が乗船して帆船での航海を体験できる船です。

www.miraie.org

2週間の間にはいくつかの航海がありました。

3時間だけの短いものから4泊5日のものまで。

 

4泊5日の航海にテレビ局のデイレクターさんが乗船していました。

番組作りではなくご自身でメディアを立ち上げたいということで、航海の様子がひとつのコンテンツにならないかと思い乗船されたそうです。

生まれて初めて帆船で海に乗り出して、帆を張ったり、舵をとったりする参加者の様子を撮影していました。

 

航海が終わったあとでたまたまその方も含めて何人かで飲みに行くことになり。

ぼく自身も帆船で起こるできごとをどう伝えるのかにはかなり興味があったので、焼き肉をつつきながら、取材の感想を聞いてみました。

彼の答えは、

「ゲストの人たちよりも、乗組員の方にドラマを感じた」

というちょっと意外なものでした。

 

これまで考えたことはなかったのですが、これはこれで当たり前かも。

ドラマとして面白いのはできごとよりも人。

そう考えるとひとときだけ船で過ごすゲストの物語よりも、そこで働くと決めたクルーの物語のほうがずっと深く掘り下げられるのかもしれません。

 

たまたま「みらいへ」では最近クルーの入れ替わりがあって、新しい若い乗組員が何人か入ってきていました。

これまで普通の船で働いたことはあっても帆船で働くのは初めて。

なかには資格は持っていてもずっと陸で仕事をしてきた人もいます。

普通の船とは違う「帆船」に夢を抱いてやってきた若くて新しい乗組員が、初めての環境のなかでとまどい悪戦苦闘しながら成長していく。

うん。確かにこれはドラマとしても面白そう。

もしかするとこの切り口からなにか生まれるかもしれません。

やっぱり、外からの視点って大事。

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ロゴをもらった話

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探検家の石川仁さんとのミーティング、そして弊社ロゴをご提案いただきました。

ミーティング終わりに、その場で、2,3分でさらさらと…

まあ使わんわけにはいかないよなあ…

 

石川仁さんは水辺に生えている葦で作った船でいろいろな航海の企画をしています。

ぼくも一緒に葦船を作ったり、川下りしたり、イベントにお呼びしたりしています。

いまは大型の葦船で太平洋を横断するプロジェクトのサポートをさせていただいてます。

(ロゴはそのギャラ…)

プロジェクト詳細はこちらから。

www.expedition-amana.com

今年の夏、アメリカで太平洋横断に使用する船の半分のサイズのプロトタイプを作ってトレーニングとデータ取得、本番航海へのデモンストレーションを行うために準備を進めています。

これからも随時、情報を発信していくのでよろしくお願いします。

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根府川の海

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中学生のとき、茨木のり子さんの「根府川の海」という詩を読んでから、「根府川」という駅にあこがれていた。

その頃、兵庫県の尼崎市というところに住んでいて、神戸の学校に通っていてた。

海が遠いってことはなかった。

学校は山の上にあったので、教室の窓からはいつも海が見えていて。

繁華街からぶらぶらと歩けば港につく。

電車でいつもより30分ほど遠くに行けば、海水浴だってできた。

海沿いの公園はお決まりのデートコースだった。

 

第二次世界大戦が終わったのが茨木のり子さん19歳のとき。

東京の大学に通っていたその頃のことを書いた詩。

なんなら授業も聞かずに毎日海ばかり眺めていた中学生のぼくは、どうして海の詩なんかにあれほど惹かれたのだろう。

 

大人になって、東京で暮らし始めた。

根府川の海はいつも心の片隅にあったけど、小田原と熱海の間というのは毎日の暮らしからは微妙に遠くて。

東京は海沿いの街だけど、ただ生きるだけだと海を感じる機会は驚くほど少ない。

だからといっと特に不便なこともないけど。

 

ある日、ふと思い立って電車に乗った。

海に沿った崖の上にその駅はあって。

なにもない駅。思っていたよりずっとなにもない。

ホームに立つと見下ろす海だけはどこまでもただ広くて。

 

 沖に光る波のひとひら
 ああそんなかがやきに似た
 十代の歳月
 風船のように消えた
 無知で純粋に徒労だった歳月
 うしなわれたたった一つの海賊箱

 

それから30年近くが経って、いまもときたま根府川を通り過ぎる。

いつしかぼくは人生の一部を海で過ごすようになった。

それでも初めて駅に降りてみたときから、海はまるで変わらずそこにある。

理不尽で、きまぐれ。

そこで生きようとするととても厳しい海も、この駅から眺めるととても優しく感じられる。

もっと海に近い駅もいくつも見てきた。

もっと澄んだ海も、もっと明るい海も。

それでもやっぱりここからの海は、ぼくにとってはどこか特別な海。

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沈んだ船と続く航海

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英語の勉強のために週に一度「白い嵐」という映画を英語字幕で見ています。

1960年代に実際にあった出来事を元にした映画で、若者たちが「アルバトロス」という名の帆船で航海する物語です。

ただ航海するだけではなく、プレップスクールという大学進学準備のためのスクール的な側面ももっていて、自分たちで船を動かす一方で同乗している教師たちの授業も受けながら日々を過ごします。

映画の中ではテストに合格できそうもなくて悩むシーンも出てきます。

英語の先生がちょっとしたタイミングでやたらとシェイクスピアを引用したりも。

 

アメリカやヨーロッパではこうした「勉強しながら長い航海をする」スクールっぽい船がいくつかあるようです。

一番有名なのはカナダにある「Class A float」という団体。

www.classafloat.com

所属する帆船は北米、中南米、ヨーロッパと、大西洋を縦横に航海しています。

ずいぶん前ですが一度中を見せてもらったことがあります。

トップの写真はその時のもの。

2000年にアムステルダムのイベントでぼくが乗っていた「あこがれ」という帆船のクルー何人かで中を見学させてもらった時に撮ったものです。

「コンコルディア」という名前の帆船で、当時ぼくが手伝っていた「海星」というもう一隻の帆船と同じポーランドのグダニスクという街の造船所で作られていました。

船体カラーも海星と同じブルーだったし、船内で似た作りだったり似たパーツが使われているところがたくさんあって、ちょっと嬉しかったことを覚えています。

船内は普通の帆船にはないPCルームなんかもあって確かに学校っぽい雰囲気でした。

羨ましいなあと思って航海に参加したいと思い調べましたが、年齢制限があるうえに参加期間も最低半年からということで諦めました。

 

「白い嵐」の映画のなかでアルバトロス号は嵐にあって沈んでしまいます。

こんな感じで。

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 帆船が沈むシーンを毎週見るのも精神的にそこそこキツイ感じもしてきました。

それにみんな叫んだり名前を呼んでるだけなので、リスニングの勉強にもならないし。

そして実は、トップの写真に写っているコンコルディアもいまはありません。

白い嵐のアルバトロスと同じように、「マイクロバースト」と呼ばれる局地的な嵐に会って、ブラジル沖で沈んだのです。

2010年、2月のことです。

 

事故当時、自分が実際に乗ったこともある船が沈んだことはけっこうな衝撃で、ネットニュースで情報をかき集めていました。

48人の生徒たちと16人の教師とクルー全員が無事に救助されたことが分かってホッとしたことも覚えています。

印象に残っているのは、事故の後のニュースで救助された学生たちのインタビューです。

学生たちは10代後半からせいぜい20歳そこそこ。

我が家のように暮らしていた船が沈むというショッキングな事件の直後だというのに、ぼくが映像でみた3人ほどは、みな冷静にインタビューに答えていました。

質問に対しては淡々と事実を誠実に答える一方で、乗組員の判断や船のコンディションには問題がなかったと、船とクルーを守るような態度を崩しませんでした。

そしてインタビューの最後に「また航海に出たい」と付け加えた人も。

 

もうひとつ驚いたのは団体がすぐに新しい帆船をチャーターして(たしか)一年も経たないうちに航海を再開していたこと。

死者こそ出さなかったものの、船が沈むという大きなトラブルがあったのに、そんなに早く事業を再開できたことにはビックリしました。

資金だってかなりの額が必要だろうし、大事故を起こしたことでの社会的な信用も失ったかもしれないのに、そんなふうに思ったのです。

でも救助された生徒たちの多くが事故を起こした団体や船を非難しなかったことと考え合わせると、なんとなく分かる気もしました。

 

多分、Class A floatは自分たちの提供するサービスのメリットもリスクも正しく把握した上で事業を行っていたのでしょう。

事故を起こさないように最大限に配慮していても、それでも海ではどんなことが起こるかはわからなくて。

万が一に事故が起こったとしても、自分たちのやっている事業にどういう大切な価値があるのか。

キチンと理解と共有したうえでセイルトレーニング事業を行っていたのでしょう。

だから、船を失ってもすぐに新しい船で航海を始めることができたのだと思います。

そしてその理念は実際に船で働く人たちにもキチンと伝わっていたのではないでしょうか。

だからこそ、航海に参加していた生徒たちもそれを感じて、船と航海を愛してくれたいた、そう思うのです。

 

映画「白い嵐」のラストシーンは海難審判。

法廷で責任を問われる船長は、審理のなかで若いクルーたちが証言を求められ苦しむ姿を見て、自ら責任を認め船舶免許を返上して裁判を終わられようとします。

しかし審判を膨張していたかつてのクルーたちはそれを止め、船長一人が責任を背負い込むのではなく、クルーもみんなでこの苦しみを背負ういたいと告げます。

それでもひとりで立ち去ろうとする船長。

その時、航海中は船長と反りが合わず、航海半ばで下船させられたフランクが、沈む船からなんとか持ち出せたシップベルを鳴らします。

なり続ける鐘の音のなかで、生き残ったクルーはもう一度ひとつになります。

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映画のためにデフォルメされたシーンではあります。

でもこれは50年前に本当にあったお話です。

沈没事故から生き残った当時17歳だった少年が書いた手記が、映画の元になっています。

船は沈み、仲間の何人かは亡くなり、それでも彼は航海した日々のことは忘れられなかったのでしょう。

それは50年後に沈んだ別の帆船のクルーの姿とも重なるような気がします。

 

ここまで書いてきて、昨日のブログで書いた日本丸の事故のことをつい思い出してしまいます。 

blog.hitomakase.com

民間団体と独立行政法人と形態も違うし、そもそもの成り立ちや事業内容も違うので単純には比べられないのはもちろんです。

でも、どちらのほうが自分たちの行っていることに真摯であったか。

自分たちの行っていることに愛情とプライドを持っていたのか。

そんなことをふと考えてしまいました。

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サハラの朝日、火星の夕焼け

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昨日までで、照明デザインをやらせていただいた公演がひとつ終わりました。

デザイナーでもオペレーターでも、そして期間が長くても短くても、立ち上げから本番に関わっていた作品が終わると、魂が抜けたみたいになります。

ここで抜けたままにしておくとリスタートに時間がかかってしまうので、心のコンデイションを落としすぎないように気をつけないとなんですが、意外に難しいんです。

 

昨日までやっていたお芝居はサン=テグジュペリの「星の王子さま」でした。

なので劇中に砂漠のシーンが出てきます。

ということで、照明で砂漠っぽいシーンを作らないといけないのですが……砂漠っていったことない。

 

まあ行ったことや見たことのない場所や景色を見せなくてはいけないのはよくあることですが。

大学時代に同世代の人たちとお芝居を作るなかでよくリクエストされたのは「ディスコみたいな照明」

大学生が書く作品なので、自分たちにとって身近な場所がよく出てくるのでしょう。

でもぼくは行ったことありませんでした。

なので想像でディスコっぽいシーンを作ってましたが、一度もイメージが違うと言われたことはなかったので、まああれで悪くはなかったのかな。

 

タイムボカンシリーズの主題歌などを手がけるシンガーソングライターの山本正之さんに「輝けライトマン」という曲があります。

当時、山本さんのライブの照明を担当していたSPSという会社と全ての照明スタッフを称える歌です。

歌詞のリンクを貼っておきますのでご興味ある方はこちらから。

petitlyrics.com

「夕焼けの街」「月面の夜」「四次元の旅」「海辺の茶の間」も舞台の上に自由に作り出すみたいな歌詞があるんですが、まああくまでイメージなんで、なんでもできるといえばできます。

夕焼けの街以外はみたことありませんけど。

そして海辺の茶の間ってなに?って気もしますが。

 

ちなみに、これまで自分がデザインを手がけたなかで一番難しかったオーダーは「火星の夕焼け」でした。

まあ、見たことないしね。

しかも調べたら火星の夕焼けって青いらしいんです。

どこから手に入れたのかわかりませんが、参考資料で写真もいただきましたが、確かに青かったことは覚えています。

でも、それそのまま再現してもお客さんに夕焼けってわかるのかなーとは思っていました。

別に、セリフとかで説明してるわけでもなかったし。

最終的には、別にお客さんにわからなくてもいいか、と開き直って青い明かりが思いっきり差し込んでくるようなシーンを作りました。

逆に、違和感を感じてもらえたらそれでいいのかなあとも。

だってそこは火星だから。

 

逆に、世の中の人はあまり見たことないけど自分的にはすごくよく知ってるシーンというのもありました。

「夜明け前の漁港」です。

帆船やヨットで旅をすることが多くて、漁港に泊まって夜を過ごすこともよくあります。

夜明け前に目が覚めしまったときに、自分の船のデッキから、まだ暗いうちから漁船が動く様子や夜がだんだん明けていく海を眺めるのが好きなんです。

ただ、よく知っている風景だからうまく表現できるのかというと必ずしもそんなことはなく。

演出家に「このシーン、暗すぎませんか」と言われてるのに、

「いや、現実の夜明け前の漁港はこんな雰囲気です」と言い張ったりとか。

別に、完全なリアルを求められてるわけじゃないのに。

 

実は「星の王子さま」の本番とほぼ同じ期間、友人で冒険家の石川仁さんがサハラ砂漠に行くツアーを企画していました。 

ちなみにトップの写真は仁さんのfacebookから無断借用しています。

怒られたら消します。

石川 仁 | Facebook

石川 仁 (Jin Ishikawa) (@Jin_Ishikawa1) | Twitter

海なら割といろんなところを航海したことがあるのですが、砂漠は行ったことがなくて。

海と砂漠は似たところがある気がしています。

広くて、何もなくて、人間を拒んでいるようで、だから日常から遠く離れて。

それなのに時折、思いがけない優しい横顔を見せてくれて。

行けば絶対に砂漠を好きになると思っていたのですが、スケジュールが合わなくて断念。

でもいつか行ってみたいなあ。

見たことのない景色のなかに、自分を晒しに。

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ぼくの好きな Empty Ship

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英語のリスニング向上を目指して「白い嵐」という映画を英語字幕で見てみようと思い立ちました。

といってもまだそんなに回数見てないのですが。

ちなみに「白い嵐」はこんな内容です。

 

blog.hitomakase.com

 

これまでも何度か見返してきた作品ですが、改めて何度も見ているといろいろと気になるシーンが出てきます。

せっかくなので、見返すたびにそのときに心に引っかかったシーンやセリフのことを書いてみようかと。

 

The sound of an empty ship.

 今回、心に残ったのはこのセリフ。

クルーの少年たちが上陸して、山に登ってメッセージを書いたノートを埋めるというシーンの後、船に残っているキャプテンに奥さんが話しかけます。

「あなたは上陸しないの」

それに対しての答えは

「君には聞こえる?」

奥さんは聞き返します

「なにが?」

それに対しての答えがこのセリフです。

「誰もいない船の音を」

 

帆船で暮らしていたころがありまりした。

と言っても、職業船員ではありません。

それでも一年のうちで2,3ヶ月は帆船で暮らしていました。

そこそこ大きな船だったので、普段は30人ほどのゲストと10人ほどのクルーで航海していました。

客船ではないので部屋は大部屋。プライベートスペースはベッド一個。

いつも身近に誰かの気配があって。笑い声が絶えなくて。

 

そんな環境がキライではないのですが、例えば船が陸についてみんなが出かけてしまったりとか、沖にアンカーしてみんなはボートで上陸した時。

たまたまそんな船に2,3人だけ残ることがあります。

そんな空っぽの船のことが、実はぼくも大好きだったのです。

だからキャプテンの「The sound of an empty ship」という言葉が心に残ったのです。

 

いつも誰かがいた食堂やデッキから人影がなくなり、普段賑やかな船から人の気配が消える。船は泊まっているので働くクルーの姿も見えない。

帆船という非日常な乗り物の非日常な時間。

普段とはまるで違って見える空間。

よく知っている場所、さっきまではいつも通りだったのが、ただ人がいなくなっただけでまるで違う横顔を見せる。

「empty ship」 がかもし出す不思議な時間。

 ほんの少しだけいつもとは違う空間で過ごすことは、ぼくには特別に贅沢な時間だって感じられたのです。

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「なにをしている人かわからない」って言われた

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友達に「他の人になんて紹介したらいいのかわからない」と言われました。

確かに。

そもそもフリーランスでいまは会社経営だけど、どういうジャンルで暮らしているのと言われるとなかなか説明が難しい。

一番わかりやすい肩書で収入のベースになっているのは「舞台照明ディレクター」だけど、すでにこの仕事が普通の人には全くイメージしてもらえない。

それ以外に「帆船乗ってます」とか「船乗ってます」とも言うけど、これもわかりにくいしいわゆるプロ船員でもないので、説明がものすごくめんどくさい。

この間は、「わかりやすく言うと、帆船で大西洋を横断したことがあります」って説明したけど、ちっともわかりやすくないよね、これ。

このジャンルでも自分がやりたいことをひとことで表す肩書を考えてて、最近では「航海デザイナー」って試しに言ってるけど、どうしようもなく胡散臭い。

そしていま本屋を始めようと準備してるんです。

初対面でそんなこと言われてもなんだかわからないよね。

逆の立場なら絶対に!?ってなるわ。

 

これはパラレルキャリアってやつかと思ったんだけど、パラレルキャリアは夢や社会貢献のためのもので収入を得ることが目的ではないらしい。

まあ夢の実現ではありますが、収入も得たいんですよね。

海とか本とかでも。

まあ舞台も海も本も、パラレルキャリア的なものをひっくるめて事業化することを目指して会社を設立したんですけどね。

今年は舞台照明以外でもちゃんとお金を稼がないと…

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わりと他人事じゃない気もします

f:id:tanaka-B-toshihiko:20190222105331j:plain柏まで映画を見に行きました。

どうしてわざわざ柏まで行ったかと言うと、関東でこの映画を上映している映画館が柏と小田原しかなかったからです。

マイナーな作品なので仕方ないですけど。

 

「喜望峰の風に乗せて」は2017年に作られた実話を元にした映画です。

1968年に開催された単独無寄港世界一周レースとそこで起きたある事件について描かれています。

イギリスでは1996年にフランシス・チチェスターが史上初めてシングルハンドでの世界一周(シドニーに一度だけ寄港)を達成してナイトに列せられたことから外洋航海に注目が集まっていました。

何人かのセイラーが単独無寄港での世界一周航海へのチャレンジを計画していた最中、チチェスターのスポンサーでもあった高級紙サンデー・タイムズは「ゴールデン・グローブ」という単独無寄港世界一周レースを開催したのです。

ちなみにこの時点で達成者はゼロ。

世界初の名誉と現在の価値で4000万円ともいわれる高額の賞金で世間の注目を集めていました。

 

映画の主人公は週末にヨットを楽しむくらいで外洋航海の経験もないアマチュアセイラー、ドナルド。

航海計器の販売会社を営んでいたものの経営は苦しく、自分が開発した機器と会社のPRのためにレースに参加したのです。

船を作る段階からいくつもの問題が発生して予定は大きく遅れ、スタート期限ギリギリに準備が不十分なままドナルドは長い航海に乗り出すことになりました。

当然、航海はトラブル続き、船体にも不具合が次々と見つかります。

このまま航海を続けることはとても難しいけれど、レース資金を得るために会社と自宅を抵当に取られているために、航海を辞めてしまうと破産してしまう…

進むことも戻ることもできないなかで彼が選んだのは航海記録の偽装。

危険な南氷洋に乗り出すことなく南大西洋で時間を過ごして、他の船が戻ってきたのを見計らってレースに復帰するというもの。

けれど海の上で良心の呵責とともにひとりきりで過ごす時間は徐々に彼の精神を蝕んでいきます。

レースが終盤に差し掛かったころ他の参加者のリタイアもあり、彼がレースに優勝してしまう可能性が出てきてしまいます。

自分の不正が露見してしまう恐れから彼はますます苦しみます。

船はイギリスに近づき、陸に帰ることが現実になろうとしたころ、彼の船からの連絡は途絶え、無人で漂流する彼の船が発見されました。

ドナルド本人はいまもって行方がわかりません。

 

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映画は悪くはありませんでしたがそれほどよくもない気がしました。

レースが始まるまではとても緻密な印象で彼がレースに出るまでの心の動きが丁寧に描かれています。

航海中の船上での描写は、ヨットに乗っているぼくから見てもとてもリアルに感じられました。

ただ、ドナルドの心が追い詰められていく後半は少し肩透かしな印象も。

とはいえ、無線を切って周囲との連絡を絶って、狭いヨットにひとりでいるというシチュエーションだと表現が難しいなあとも感じました。

観る前、そして前半を観ている間も、これ後半どう描くんだろうと思っていたのですが、ある意味では想像していたレベルよりも悪くも良くもなかった。

そこが少し不満と言えば不満です。

 

興味深かったのは、主人公と社会との関係性がいまの世の中にも十分当てはまること。

(意図的にそう描いていたのかもしれませんが)

 

レース前、スポンサーや協力者を募るなかでヨット経験が浅いことを指摘された主人公は、

「単独無寄港世界一周はこれまで誰もやっていないのだから、経験値は横一線」

「週末セイラーの自分だからこそ、達成したときの注目度は計り知れない」

と反論します。

そしてPR担当として雇ったジャーナリストは捏造スレスレの記事で彼をブランディングしていきます。

実際にはヨットの建造は遅れ、船体には不具合や未完成な部分がいくつもあり、装備するはずだったオリジナルの機器や安全装置は間に合いませんでした。

出航期限の前日、ヨットビルダーからは準備不足から棄権を進められます。

彼自身も航海への不安を感じていたのですが、航海についてはなにも知らないスポンサーやジャーナリストからの説得に応じて、危険な航海に乗り出してしまいます。

航海の途中、船のトラブルと技術不足から航海距離が伸びないことに悩み、航海記録の偽装を始めるのですが、それは当時の世界最高レベルというあまりにも非現実的な速さだったのです。

そのことが人々の期待をあおり、洋上にいる主人公の預かり知らないところで大きな盛り上がりをみせてしまうのです。

 

自分を大きく見せるための景気のいい言葉。

リソースを最大限に大きく見せるブランディング。

そして行き過ぎたPRから生まれる葛藤。

 

最後には大きくなりすぎてしまった嘘の自分を引き受けられなくなっしまった彼の末路は、現代でもどこにでもある物語なのかもしれません。

あんまり他人事にも思えないところもありまして。

そもそも準備不足のまま危険な航海に乗り出してしまったことが大きな間違いですし、それを修正することができないまま嘘を重ねてしまったことも問題です。

でも、すくなくともぼくには彼を責めることなんてできない気がします。

期待やしがらみのなかでいつでも正しく選択を続ける、そんなことができる人なんてごく少数。

 

準備中から「いつでも辞めればいい」といい続け、レース中も「栄誉なんてなくていい、ただ無事に帰ってきてくれれば」と語り続けた彼の奥さん。

主人公は壊れゆく精神の中で彼女の幻想と語り合い、通信状況の悪いなかでなんとか彼女と連絡をとろうとします。

この映画の原題は「The Mersy」日本語だと「慈悲」

どうしてそういうタイトルにしたのか、少なくとも日本語のタイトルよりはずっとしっくりくる気もします。

すべてを投げ出して奥さんのところに返ればよかったのに。

それができなかったのが彼の最大の失敗で最大の悲劇だった、ぼくはそう思うのです。

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マゼランが死んだ島

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セブ島に語学留学を決めたあとで思い出したんですが、ここセブ島はマゼランゆかりの島です。

マゼランの艦隊は初めて世界一周を達成しました。

西廻りでヨーロッパからアジアに向かったマゼランは1521年、ここセブ島に立ち寄ります。

キリスト教を布教して地元の王とも友好関係を結んでいましたが、セブのとなりのマクタン島に遠征したときに、マクタンの王、ラプ=ラプの軍勢に殺されたのです。

 

結果的に、マゼランの艦隊は世界一周するのですがマゼラン自身はここで亡くなりました。

艦隊は出港から3年近くかけて、270人の乗組員はたったの18人になりながらも、世界一周を達成したのです。

 

マクタン島はいまでは空港がありセブ島とも橋でつながっていますぼくも先週、成田からマクタン島の空港に降り立ちました。

セブ島には、マゼランが設立したと言われるサントニーニョ教会と、マゼランが建てた「マゼランクロス」という十字架があります。

ということで見にでかけたのですが、ひとつまえのポストにも書いた通り、お祭り前ということで大きなミサが行われていて、中に入ることができませんでした。

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奥の建物がサントニーニョ教会

教会や十字架が見られなかったので、とりあえずすぐ近くのフェリーターミナルに行きました。

日本でもフィリピンでもとりあえず港に行っちゃうのはどうなんでしょうか。

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ターミナルにはチケットがないと入れないし、それ以外の岸壁はすべてロックされてました。

アバウトな国民性のフィリピンですが、こういうところは日本よりもむしろ厳しいですね。

ジリジリと岸壁に侵入して写真を撮っていたた警備員に追い出されました。

 

フィリピンは島国で、セブを起点としてたくさんの島への航路があるみたいで港は結構賑わってます。

小型のフェリーや高速船がたくさんいました。

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セブ〜マクタン航路のフェリー、ラプ=ラプ

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ファンネルの後ろにひるがえる洗濯物がポイント、グロリア3

その後、港を離れて歩いていたら小さな工場の前にかなり大きいアンカーとかウインドラスとか置いてあるのを見つけました。

というか歩道にはみ出してるんですが。

ドッグ以外でこのサイズのアンカーとか見るの初めて。

あと、チェーンブロックとかワイヤーとか。

萌えます。

セブ島まできてなんの写真撮ってるんだろうってちょっと疑問に感じますけどね。

ちなみにタイトル写真は港で見かけたネコ。

こっちのネコはみんなスリムでちょっとカッコいい。

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復元船の使い方

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先日のブログで帆船とバウスラスターについてちょこっと書いた続き。

別に続くつもりはなかったのですが、ぼくの船関係のTwitterアカウント

海図を背負った旅人📫 (@foolz_jp) | Twitter)でのあるツイートに最近いいねがついたのでふと続きを。

ツイートは大阪にある「なにわの海の時空館」という閉鎖された博物館についてです。

 

 

この施設の目玉は、江戸時代に海運で使われていた菱垣廻船の忠実な復元船でした。 

「浪華丸」と名付けられた復元船はは全長23m。
材料や工法まで含めて、現在わかっている範囲でできるだけ忠実に作られました。

 

約10億円をかけて復元さた船は、大阪湾で帆走実験をしました。

当時、ちょっとしたご縁があってぼくも乗り手として誘われたのですが予定が合わなくて参加できず。

知人が何人も乗っていたのを遠くから指を加えて見ていたものでした。

 

ちなみに技術的なお話に興味のある方は下記のリンクを。

帆走実験の結果についての報告書です。

予想よりもかなりよく走ったそうですよ。

日本財団図書館(電子図書館) 菱垣帆船「浪華丸」帆走実験報告書

 

1999年のたったひと夏。

浪華丸は海を走り、そしてガラスのドームに収められ、いまは誰にも振り返られることのないままなのです。

 

バブル前後を中心に、昔の船の復元船を作ろうというプロジェクトはいくつも実施されました。

その多くは作るまではとても盛り上がるのですが、作った後まで熱量が続いていたケースはほとんどありません。

理由は作っても使いみちがないから。

 

なにわの海の時空館のケースでは、せっかく航海能力のある船を作ったのに海に浮かべず、陸に揚げてしまいました。

こうなると見る側としては、もう「船」ではなくてただの大きくな「オブジェ」でしかありません。

わざわざ手間やお金をかけて作った意味が感じられなくなってしまいます。

 

この関係で一番残念だったのは1991年に作られたサンタマリアの復元船。

スペインで作られて、日本まで航海して、当時は非常に注目されたものの、航海後に神戸で陸上展示されてからはほとんど話題になることもなく、船体の痛みが激しいことを理由に2013年に解体されました。

 

宮城県の石巻市には、伊達政宗が作った西洋式帆船「サン・ファン・バウティスタ」を1990年に15億円かけて復元した船があります。

初期は何度か航海して、その後は石巻市郊外の博物館脇ドックに動態保存されていました。

けれどメンテナンスが行き届かず、東日本大震災の被害もあり、いまは危険ということで公開が中止されて解体が議論されています。

www.santjuan.or.jp

 

かと言って、実際に復元船で航海するには、かなりハードルが高いのです。

当時の構造を忠実に再現すればするほど、現在の基準では乗客の安全確保が難しくなります。

また「帆船にバウスラスター」でもちょこっと触れましたが、復元性が高いほど航行性能が低いので自力で走ることは難しくなります。

伴走船やタグボートなしでは航海が企画できなくなり、予算や手間がかかるので実際に走らせる機会がほとんど作れなかったりもします。

 

いま国内でぼくが知る限りではふたつの復元船のプロジェクトが進んでいます。

作ることももちろん大きなエネルギーが必要な大変なプロジェクトなのですが、作った後どうするかも考えないと、残念な結果になってしまうかもしれません。

 

「歴史に残る船を蘇らせる」はとてもロマンのある話なのかもしれませんが、その後に待っているのは長く続く現実の時間です。

復元船を作るまでに費やした時間やエネルギーが無駄にならないことを祈ります。

 

ちなみに以前にぼくがまとめた国内の復元船プロジェクトの概要はこちらへ。

 

matome.naver.jp

 

ついでなので、復元船と航海がテーマの面白い本を一冊。

1492年、コロンブスの最初の大西洋横断航海で使われた3隻のなかの1隻「ニーニャ号」
1962年にその忠実なレプリカを作り、大西洋横断にチャレンジするノンフィクションです。
資金集めから造船過程から実際の航海まですべてグダグダ。

そして当然ながら航海中はトラブルの連続。

よく死ななかったなあ。というかよく出航する気になったなあ。

そんな感想しかでてこないグタグタの航海記です。

www.amazon.co.jp

 

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