英語の勉強のために週に一度「白い嵐」という映画を英語字幕で見ています。
1960年代に実際にあった出来事を元にした映画で、若者たちが「アルバトロス」という名の帆船で航海する物語です。
ただ航海するだけではなく、プレップスクールという大学進学準備のためのスクール的な側面ももっていて、自分たちで船を動かす一方で同乗している教師たちの授業も受けながら日々を過ごします。
映画の中ではテストに合格できそうもなくて悩むシーンも出てきます。
英語の先生がちょっとしたタイミングでやたらとシェイクスピアを引用したりも。
アメリカやヨーロッパではこうした「勉強しながら長い航海をする」スクールっぽい船がいくつかあるようです。
一番有名なのはカナダにある「Class A float」という団体。
www.classafloat.com
所属する帆船は北米、中南米、ヨーロッパと、大西洋を縦横に航海しています。
ずいぶん前ですが一度中を見せてもらったことがあります。
トップの写真はその時のもの。
2000年にアムステルダムのイベントでぼくが乗っていた「あこがれ」という帆船のクルー何人かで中を見学させてもらった時に撮ったものです。
「コンコルディア」という名前の帆船で、当時ぼくが手伝っていた「海星」というもう一隻の帆船と同じポーランドのグダニスクという街の造船所で作られていました。
船体カラーも海星と同じブルーだったし、船内で似た作りだったり似たパーツが使われているところがたくさんあって、ちょっと嬉しかったことを覚えています。
船内は普通の帆船にはないPCルームなんかもあって確かに学校っぽい雰囲気でした。
羨ましいなあと思って航海に参加したいと思い調べましたが、年齢制限があるうえに参加期間も最低半年からということで諦めました。
「白い嵐」の映画のなかでアルバトロス号は嵐にあって沈んでしまいます。
こんな感じで。
帆船が沈むシーンを毎週見るのも精神的にそこそこキツイ感じもしてきました。
それにみんな叫んだり名前を呼んでるだけなので、リスニングの勉強にもならないし。
そして実は、トップの写真に写っているコンコルディアもいまはありません。
白い嵐のアルバトロスと同じように、「マイクロバースト」と呼ばれる局地的な嵐に会って、ブラジル沖で沈んだのです。
2010年、2月のことです。
事故当時、自分が実際に乗ったこともある船が沈んだことはけっこうな衝撃で、ネットニュースで情報をかき集めていました。
48人の生徒たちと16人の教師とクルー全員が無事に救助されたことが分かってホッとしたことも覚えています。
印象に残っているのは、事故の後のニュースで救助された学生たちのインタビューです。
学生たちは10代後半からせいぜい20歳そこそこ。
我が家のように暮らしていた船が沈むというショッキングな事件の直後だというのに、ぼくが映像でみた3人ほどは、みな冷静にインタビューに答えていました。
質問に対しては淡々と事実を誠実に答える一方で、乗組員の判断や船のコンディションには問題がなかったと、船とクルーを守るような態度を崩しませんでした。
そしてインタビューの最後に「また航海に出たい」と付け加えた人も。
もうひとつ驚いたのは団体がすぐに新しい帆船をチャーターして(たしか)一年も経たないうちに航海を再開していたこと。
死者こそ出さなかったものの、船が沈むという大きなトラブルがあったのに、そんなに早く事業を再開できたことにはビックリしました。
資金だってかなりの額が必要だろうし、大事故を起こしたことでの社会的な信用も失ったかもしれないのに、そんなふうに思ったのです。
でも救助された生徒たちの多くが事故を起こした団体や船を非難しなかったことと考え合わせると、なんとなく分かる気もしました。
多分、Class A floatは自分たちの提供するサービスのメリットもリスクも正しく把握した上で事業を行っていたのでしょう。
事故を起こさないように最大限に配慮していても、それでも海ではどんなことが起こるかはわからなくて。
万が一に事故が起こったとしても、自分たちのやっている事業にどういう大切な価値があるのか。
キチンと理解と共有したうえでセイルトレーニング事業を行っていたのでしょう。
だから、船を失ってもすぐに新しい船で航海を始めることができたのだと思います。
そしてその理念は実際に船で働く人たちにもキチンと伝わっていたのではないでしょうか。
だからこそ、航海に参加していた生徒たちもそれを感じて、船と航海を愛してくれたいた、そう思うのです。
映画「白い嵐」のラストシーンは海難審判。
法廷で責任を問われる船長は、審理のなかで若いクルーたちが証言を求められ苦しむ姿を見て、自ら責任を認め船舶免許を返上して裁判を終わられようとします。
しかし審判を膨張していたかつてのクルーたちはそれを止め、船長一人が責任を背負い込むのではなく、クルーもみんなでこの苦しみを背負ういたいと告げます。
それでもひとりで立ち去ろうとする船長。
その時、航海中は船長と反りが合わず、航海半ばで下船させられたフランクが、沈む船からなんとか持ち出せたシップベルを鳴らします。
なり続ける鐘の音のなかで、生き残ったクルーはもう一度ひとつになります。
映画のためにデフォルメされたシーンではあります。
でもこれは50年前に本当にあったお話です。
沈没事故から生き残った当時17歳だった少年が書いた手記が、映画の元になっています。
船は沈み、仲間の何人かは亡くなり、それでも彼は航海した日々のことは忘れられなかったのでしょう。
それは50年後に沈んだ別の帆船のクルーの姿とも重なるような気がします。
ここまで書いてきて、昨日のブログで書いた日本丸の事故のことをつい思い出してしまいます。
blog.hitomakase.com
民間団体と独立行政法人と形態も違うし、そもそもの成り立ちや事業内容も違うので単純には比べられないのはもちろんです。
でも、どちらのほうが自分たちの行っていることに真摯であったか。
自分たちの行っていることに愛情とプライドを持っていたのか。
そんなことをふと考えてしまいました。
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