海と劇場、ときどき本棚

2018年の7月に爆誕した何をするのかを模索しつづける会社「ひとにまかせて」代表のブログです

【てがみ書店ができるまで 3】中身を見ずに本を買った

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下北沢のワンブロックから棚が借りられる本屋のアンテナショップで棚を借りたものの、やりたいことは本を売ることじゃないのではと思ってしまってところから、今回の話は始まります。

 

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棚を借りることにしてそこでなにをしようか、考えるうちにたどり着いたのは「国立本店」や「なタ書」「6次元」といった、これまでに見てきた本のあるスペースでした。

ぼくがステキだなと感じたのは必ずしも本が売られる場所というわけではなく、本がキッカケでコミュニケーションが生まれる場だったのです。

もちろん本を売ってもいいのですが、数十の本棚が並ぶ中で単純に自分の選書だけでそこで存在感を出せるだけの自信もありませんでした。

なので、ここで考えたのは、

「棚ひとつ分の小さなスペースから本をキッカケにしたコミュニケーションが生まれるオリジナリティーのある仕組み」を作ることでした。

 

考えるなかで思い出したのが、BOOKSHOP TRAVELLER に棚を出していた「TBOOKS」さん。

下北沢にリアル店舗も出している本とタロットと雑貨のお店。

こちらではタロットカードのリーディングもやっているのですが、そのリーディングの結果から本をリコメンドする「タロット選書」というのも行っているそうです。

BOOKSHOP TRAVELLERではその簡略版(?)で、タロットカードの大アルカナ柄のブックカバーを掛けた本を販売していました。

面白いのはブックカバーのせいで中身が見えないこと。
手にとって中を開けば見えますが、棚に並んでいる限りはタイトルも表紙も見ることはできません。

カバーのカードのイメージから選書されてるそうですが、ヒントはそれだけ。

ここまで来たら、もう中身を見ずに買ったほうがいいんじゃないかと思わせる潔さ。

ぼくも自分が好きな「fool」のブックカバーがついた本を買ったのですが、うちに帰るまで中身は見ませんでした。

レコードやCDをジャケ買いする感覚と似てるのかもしれません。

 

「中を見ずに買う」という行動はとても新鮮。

普段は本を買うときに内容とか著者とか気にして買うのが当たり前なのに、ちょっとした仕組みで内容を知らずに本を買うことに意味や価値を生み出してる。

そこがとてもおもしろく感じたのです。

 

もうひとつ思ったのは本を選ぶ基準。
誰でも好きな作家やジャンルの本を手に取るのが当たり前。
この頃は口コミやリコメンドサービスも充実していて、自分が好きな本にたどり着くことは昔と比べてずいぶんと簡単になった。

でもそれって幸せなこと?

 

演劇の世界で仕事をしていて変わったなと思うのは、お客さんの行動パターン。

広く浅くいろいろな作品を見る人が一昔前までは主流だったのが、いまは特定のジャンル、劇団、俳優さんにフォーカスして見るケースが増えた。

アイドルみたいに「推し」や「担当」がいることも普通に。

お客さんが変わるのに合わせて売り方も変わる。

ひとりの強烈なファンになるべくたくさんお金を使ってもらう、客単価をあげる戦略がごく当たり前になった。

生写真みたいな役者個人にフォーカスしたグッズ。ツーショット撮影券や握手券。

何度も公演に足を運んでもらうために、日替わりゲストを呼んだり、連日トークショーを開催したり、アドリブのシーンを入れて毎ステージ違う演技を見せたり。
ホストクラブ的なシステムを取り入れた、公演期間中の役者それぞれのグッズの売上を競い合うようなところも出てきた。

もちろん、お客さんに喜んでもらうためにいろいろと工夫することは悪いことじゃないし、お客さんの満足度も高いのだから誰が文句を言う筋合いでもない。

でもさ。

たくさんの情報があって、自分にあったコンテンツにたどり着くことが簡単になって、そのコンテンツの周りで充分に楽しく遊べる。

それはそれですごいことだけど。

でも、本の、書店の楽しみ方ってそれだけではないはず。

棚を隅から隅まで眺めて、タイトルや背表紙の色からなんとなく惹かれたものとの偶然の出会い。

ネットにはないリアル書店の面白さってそこにあるんじゃないかな。

だからジャケ買いみたいに中身を見ずに本を買うことができる。

「知らない本」と出会える書店。
なんとなくだけどそういう方向でもう少し考えてみよう。

(つづく)

 

オープニングイベント開催します!

 

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【てがみ書店ができるまで 2】そもそもやりたいことは本屋なの?

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つい勢いで本棚ワンブロックを借ります!って言っちゃったのが前回ですが、

今回は言っちゃったけどどうしようっていうお話です。

 

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本は好きですし、本屋巡りも好きでした。

けれど、前回のブログにも書きましたが「モノを売る」ことには興味も経験もなく。
どんな棚をつくればいいのか、どんなものを売ればいいのかの具体的なイメージはありませんでした。

そもそも、新刊書店なの古本屋なの?

仕入れのノウハウあるの?

そもそもやりたいことは本屋なの?

 

他の本棚オーナーさんはと見ると、選書に意思を感じられたり、売り方に工夫が感じられたり。
「本屋」に夢を持っているひとたちと、勢いで始めちゃおうっていう自分がなんか同じレベルで勝負するのが申し訳なく感じられてしまいます。

 

一応、海・船関係と舞台関係に詳しいという強みはあるものの、どちらもあまりにもニッチな業界

BOOKSHOP TRAVELLER店主の和氣さんからは、

「ニッチなジャンルの本のほうが意外と売れたりするんですよ」

 とは言われたものの、さすがにニッチ過ぎて関連書籍も少ないし、絶版になっているものも多くて。

そして出版部数も少ないので中古業界にもあまり出回っていない。

 

数年前に「国立本店」という国立にある本をベースにしたコミュニティースペースの「ほんの団地」に船関係の蔵書を置かせてもらったことがあったのだけど(こちらは販売ではなく展示)、ぼくが忙しくてあまりうまく活かせなかったということがあり、周りから興味を持ってもらえる気がしなかったことも、自分が選書した本を置くことに消極的だった理由。

 

とはいえ、借りちゃったのでなんとかしないとなあとぼんやり考えていて思い出したのが、荻窪にある「6次元」さんと香川県高松市にある「なタ書」さん。
どちらもちょっと見にはそこにお店があることすらわからないような場所なのに、中は本で埋め尽くされた空間。

6次元さんは「本がたくさんあるイベントスペース」

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ぼくもイベントに参加するために訪れて驚きました。
店主のナカムラクニオさんに話を伺いましたが、本はあくまで自分の趣味で集めているだけで売り物ではない。
以前は書店やブックカフェとしても運営していたけれど、いまではイベントの企画を行っているとのこと。

なタ書さんは「完全予約制の古本屋」というユニークな営業形態。

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店主の藤井さんは独特の雰囲気を持つひとで、このお店の魅力は予約制という運営の仕方ではなく藤井さんのキャラクターにあるんです。

なかなか簡単には伝えられないので、ネットで見かけた記事を貼っときます。

dailyportalz.jp

 

どちらもいわゆる「本屋」の形とは違うところで成り立っているお店。

「なタ書」は確かに古本屋さんではあるのだけど、同時に地域で文化的な活動をするひとのハブ的な要素もある。
6次元では本を売ってすらいない。

ただ「本がたくさんある空間」を作りそこから価値を生み出している。
自分がやりたいことは「本屋」という営業形態ではなくて、本があることで生まれる「なにか」を作り出すことなんじゃないか?

だんだんとぼくの考えはそういう方向に傾いていったのです。

(続く)

 

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【てがみ書店ができるまで 1】 ぼくも借ります!

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てがみ書店というサービスをリリースします。

書店という名前ですが扱う商品は書籍ではなく、好きな本への愛情を綴った「てがみ」というなんだかよくわからないお店。

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サービスの内容だけだとよく分からいひとも多いのではと思い、てがみ書店をスタートするまでに起こったことや考えたことについて書いてみようと思いました。

 

てがみ書店が生まれたのは、下北沢に「BOOKSHOP TRAVELLER」という場所があったからです。

BOOKSHOP TRAVELLERは「本屋のアンテナショップ」というコンセプト。

カフェの奥に細長いスペースあって、本棚をワンブロックから本屋をやりたい人に貸し出すというちょっと面白いスペースです。

 

ぼくは舞台関係の仕事をしていて、どちらかというと「後に残らないもの」をクリエイトすることに喜びを感じていまうタイプ
時間と空間を共有したひとしか味わうことのできない「ライブ」の感覚が大好き。

なので「モノを売る」ことには興味がなかったし、実際にアルバイトも含めて物販はやったことがありません。

またフリーランスで仕事をしていて、数日から数ヶ月の単位で、いつも違う劇場、違う団体を渡り歩いて働くことが好きで、ひとところに腰をすえてじっくりと暮らすのも、どちらかというと苦手なのです。

 

20代の頃からそんな暮らしを30年ほど続けてきたのですが、どこか心境の変化があったのかもしれません。
去年一年間、国立の「つくし文具店」を拠点にデザインについて考える「ちいさなデザイン教室」に参加しました。
月に一度、つくし文具店のお店番をすることと引き換えに、デザインや文具、プロダクトや地域などについて考えるコミュニティーに参加できるというプロジェクトでした。
そんな感じで少し興味の対象が変わってきたタイミングで「BOOKSHOP TRAVELLER」と出会いました。

 

BOOKSHOP TRAVELLER店主の和氣さんとは5年位まえから知り合いでした。

最初にお会いしたときは「本屋が好き」とは言うものの本や書店とは関係のない一般企業にお勤めだったのですが、気がついたら退職→本好きコミュニティーの運営→著書出版(東京わざわざ行きたい街の本屋さん)とあっという間に「本屋好き」を仕事にしていき感心していました。

そんな和氣さんのフェィスブックに去年の秋くらいからやたらと「下北沢で本棚作ってます」という記事がアップされるようになり、なにやってるんだろうなあと思っていたら、BOOKSHOP TRAVELLERという面白いスペースがオープンしたのです。

 

どんな場所なのか気になったのでオープンからしばらくして実際に足を運んでみました。

下北沢西口から歩いてすぐ。

狭い路地の奥にあるカフェスペースのさらに裏にあるわかりにくくてたどり着きにくい場所。

そこがBOOKSHOP TRAVELLERでした。

 

細長いスペースの両側は一面の本棚で、本棚には本がビッシリ。

棚の一区画がそれぞれひとつの本屋さんになっています。

実店舗を持っている書店や地方の書店のアンテナショップ。

webを中心にやっているお店の小さなリアルスペース。

そして他の仕事をしながらいつか本屋をやりたいと夢見る人の夢の入り口。

本に囲まれた隠れ家のようなその場所にぼくはひと目で心奪われて、その場で

「ぼくも借ります!」と宣言してしまったのです。

まるで恋に落ちるみたいに。

 

 

〈オープニングイベント開催します!〉

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てがみ書店オープニングイベント

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このたび、下北沢にある、本屋のアンテナショップBOOKSHOP TRAVELLER さんで「てがみ書店」というプロジェクトをスタートします。

 

書店という名前ですが本は扱いません。
販売するのは「本について書かれたてがみ」です。
やりたいことは「本」をテーマにした新しいコミュニケーションをつくることです。

 

オープニングを記念して6/22(土)にイベントを開催します。
ゲストにBOOKSHOP TRAVELLER店主で街の個性的な書店を紹介した「東京 わざわざ行きたい街の本屋さん」の著書でもある和氣正幸をお呼びします。

 

イベントでは参加者のみなさんにそれぞれ自分のおすすめの本をご紹介いただき、その本への愛を語る「てがみ」をお書きいただきます。
書いていただいた「てがみ」は店頭で販売させていただき、誰かの手元に届きます。

 

なかなかコンセプトをうまく伝えきれていない感じがするのですが、なんとなくピンときたかたはぜひご参加ください。
立ち上げたばかりで、また似たようなものが少ない新しいプロジェクトなので、内容のブラッシュアップやPR戦略などを考えるためにも、質問や気になる点があれば、いろいろとご指摘いただけると助かります。

 

よろしくお願いします。

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新しい景色

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下北沢といえば演劇の街で。

いちおう、演劇業界の端くれで生きている人なので下北沢にはかなりの頻度で足を運ぶ。

もう30年くらいになる。

 

数年前から小田急線の下北沢駅が地下に潜る工事が始まり、駅からの景色が少しずつ変わっていった。

駅前劇場という小さな劇場は以前は南口改札を出た眼の前にあったのだけど、南口改札がなくなり駅前っぽさがなくなった。

改札からホームまですぐだったので、遅くまで飲んでてもギリギリで終電に滑り込むことができたのだけど、改札から地下のホームまで遠くなってしまったのであんまりギリギリだと間に合わなくなってしまった。

地上からは線路がなくなり、線路を越えるための踏切も当然のようになくなり、新しい道が通り、広場ができて。

不便だからというよりも、見慣れた景色が変わることになんとなく抵抗を感じたりもしていて。

半年くらい前から新しいことを始めようと準備してきた。

似たようなことをしているひとも見当たらないサービスを作る。

準備してきたというよりも、前に進んでは戻り、ためらい、周りのひとを巻き込んではほったらかし、足踏みし、みたいなことを繰り返すうちに、ものごとは大して進んでいないのに時間だけが過ぎていった。

自分のなかではぼんやりとイメージがあって、きっとそれは面白いことなんだけど、その面白さをどんなひとに刺さるのか、どう伝えれば届くのか、そんなことを考えるうちに不安になって。

そんなことを繰り返していた。

精神衛生にもよくない日々。

 

まだ準備が整ったわけでもないし、自分のなかで府落ちしてもないんだけど、引っ張り続けてもこれ以上なにも出でこないようなので前に進むことにした。

不安だらけだけど前に進み始めるともうやるしかないって開き直れる。

失敗したところでそれほどダメージがあるわけではないし。

自分が思っていたような未来が開ければすばらしいし、予想していなかった展開になるともっと面白い。

動き始めたことでなにが生まれるのか。

少し楽しみになってきた。

 

下北沢駅の工事もあらかた終わったみたいだ。

改札からの風景は30年通っていた見慣れた街とはまるで違っている。

でも、この街にこんな景色が隠されていたのかってちょっと驚かされたりも。

新しい景色はいつだって明るい。

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猥雑で薄汚れた、だからこそキラキラした世界

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仕事柄、世の中では有名な俳優さんや演出家、作家さんに会うことがよくあります。

そんな話をすると羨ましがられることも多いのですが、ぼくにはそういう感覚があまりよく分かりません。

もう少し言うと「ファン」という存在そのものがあまりわからないのです。

 

大好きな作品があっても、それを作った人に会えて嬉しいという感覚があんまりないんですよね。自分の中で。

小説や演劇作品、俳優としての役作りに魅力を感じているのだから、それと関係のないところでつながることにとくに興味を感じないのです。

例えば「サインをもらう」という感覚が本当に理解できなくて。 

あれは、なにがうれしいんでしょうか?

 

そんなぼくなのですが、ほとんど唯一の例外は物語作家の栗本薫さんです。

もうすぐ彼女がお亡くなりになって10年。

「世界でいちばん不幸で、いちばん幸福な少女」は元SFマガジン編集長で仕事のパートナーであり、そして夫でもあった今岡清さんによる、彼女との想い出を綴った一冊です。

 

ふたつのペンネームを使い分けて様々なジャンルで活動し、約30年間の活動期間に400冊ほどの作品を発表した多作の流行作家。

中学2年生で彼女の「グイン・サーガ」という本を手に取っしまったことが、その後のぼくの生き方に大きな影響をもたらしました。

 

とはいえ、どうしてそこまで心惹かれたのか、正直よくわからなかったりもしてたんですが、この本を読んでなんとなく思い当たるところがありました。

強さと繊細さの二面性。

 

ミュージカルの演出などもなさっていたので、その縁で少しだけ仕事でのお付き合いがあったのですが、そのときも同じような印象を受けていました。

エネルギッシュでいつも前に向かって進み続ける一方で、そこはかとなく漂う危うさ。

多分、彼女の作品のあちこちにそのアンバランスさは滲み出していて。

いや、モノを作る人ならほとんどはそういうバランスの悪い部分があるのでしょう。

だから、たまたま出会ったタイミングだったのかもしれません。

まだティーンエージャーで世界の前で足をすくませていたからこそ、大人で社会的に成功しているように見えた彼女のなかにある震えを敏感に感じ取れたのかもしれません。

 

この本では一章を割いて彼女と演劇との関わりについて書かれています。

本来は内向的で、自分の書きたいものをただ書き続けていたかったであろう彼女は、演劇の世界で暮らすことで、金銭的にも精神的にもダメージを受けていて。

それでも30本近い作品を演出して必ずしも居心地がいいだけではない演劇の世界にとどまり続けた。

小説を書くだけではなく、たくさんのものを失っても演劇の世界でも生きようとした、そこは自分とってもなんとなく共感するところでもあります。

傷つくことがわかっていても、猥雑で薄汚れた、だからこそキラキラした世界に惹かれてしまう。

演劇の世界との関わりは、そんな彼女の生きる姿そのものだったのかもしれない。

 

ちょうど一年ほど前にも、栗本薫さんについてブログに書いてた。

20minute.hatenablog.com

彼女の根本は「物語る人」

自分が面白いと思う物語をただ語り続ける。

だけど、ただ語るだけでは足りなかったんだろうなあ。

物語が世界と溶け合う。

小説だけではなく評論を書いたり演劇をやったり楽器を演奏したり。

自分の物語が現実の世界を生きること。

それが彼女の見たかった世界なのかもしれないな。

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言葉のちから

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先日のブログで、ある航海に一緒に乗ったテレビ局のディレクターさんが、参加者よりも新人乗組員のほうがドラマになると言われたことを書きました。

同じ体験でも視点が変わるとまるで違う物語になるんだなあと、いまさらながら考えさせられました。

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そういえば、2000年に帆船で大西洋を 横断したのですが、その航海記を書いて小さな文学賞をいただいたことがあります。

これもブログに書きましたがぼくから一緒に航海したみんなに贈り物をするような気持ちで書きました。

つまり、完全にぼくとそして航海をともにした参加者たちの物語だったのです。

 

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そしてふと思い出したのですが、その航海を企画した大阪港振興協会でも航海の記録を書籍にして出版していました。

 

「小さな帆船、大きな世界」というこの本は世界一周航海についてプロのライターさんが書いたドキュメンタリーです。

実際に航海に乗船したわけではなく、航海に携わった乗組員たちへのインタビューがその中心になっています。

これはこれでとても面白い本。

よく知っていると思っていた乗組員の別の一面をうかがいしることができるし、航海中に起こったエピソードについても詳しく書いてあったり。

読み比べてみると同じ航海でもまるで違った印象になります。

言葉は面白いですね。

 

そんなわけで4月26日にはその大西洋横断航海を語るトークショーも予定しています。

どこに視点をおいてお話しようか、いろいろと考えていますので、ご興味ある方はぜひ!

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物語のプレゼント

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(この記事は4年前に書いたものを元に書き直したものです)

7年前に「自分の本をつくる」という講座を受けました。

freedom-univ.com


自由大学という社会人向けに少し変わった視点の学びの場を提供している団体の授業のひとつで、本を出したいと思う人たち向けに、自分の内面と対話して自分が伝えたいものはなんなのか、そんなことを探る内容でした。

7年前というのはぼく自身の迷走期。

(まあ正直いまも迷走してますが)
それまでの仕事を休業して次の何かを模索して半年あまりが過ぎ、まだ答えが見つからず悩んでいたのです。

文章を書くというのは昔から好きなことでしたが、本格的にそれに取り組むことはしてきませんでした。
それまでの半年間、自分の中のものを棚卸しして、見つけたものを取捨選択し、そして思い出した自分がやりたいことのひとつ「本を書く」をもう一度見つめ直してみよう、そういう思いから受講しました。

「自分の本をつくる」は人気のある講座でぼくが受けたのは14期。その後も定期的に講座は開催されていました。
5日間の講義の中で自分のやりたいことをブラッシュアップして、その最終日に自分の作りたい本の企画書を参加者相互でプレゼンします。


先日、30期生の最終プレゼンをオブザーバーとして聴講させていただきました。

9人の方の出版企画のプレゼンはそれぞれの方の個性と情熱に満ちたものでした。
ぼく自身は若い頃からずっと舞台業界で技術者として仕事をし続けてきたせいであまり外の世界のことを知らないので、世の中には様々なバックボーンを持った人たちがいて、いろいろなことに情熱を傾けているのだと感心させられる時間でした。

 

その中でひとりの参加者の女性からこんな言葉が飛び出しました。
「わたしはこの本を出せないままだと、死にきれないと思っています」

彼女の夢は自分の作品を出版することではなく、若い頃にニューヨークで出会った一冊の本を翻訳したいということ。

30年ほど昔にアメリカで出版された一冊の本。
流行のファッションを追い求めるのではなく、その人に合ったものを身につけることでスタイルが生まれるというテーマ。

正直、自分があまり興味のある分野でもないのでそこまで内容に引かれわしませんでした。
ただ当時の彼女がその本に出会いどれだけ衝撃を受けたか、そして自分が味わった感動を伝えたいという情熱がどれだけ深いのか、それは理解できた気がしました。

それは自分自身も同じような体験をしたからです。

 

講座を聴講するにあたり、最初に講師の方から現受講生の方に簡単に紹介していただいたのですが、そこで「この人は文学賞を受賞したことがあります」と。

自分の本を出したいと思う人たちなのでその辺りには非常に食いつきがよく、講義後の懇親会で賞を取ったことに関することをいろいろ聞かれました。
その中で「普段は違う仕事をしながら受賞した作品を書くのは大変じゃなかったですか」という質問がありました。

ぼくの答えは
「ぼくにしか書けないと思っていたので、書くことが義務だと思っていました」
というものでした。

 

ぼくが頂いたのは「海洋文学大賞」というもので、もう20年近い昔のことになります。
出版社などが作家の発掘のために行っていたのではなく、海事関係の業界団体が海洋文化の普及などを目的に開催していたコンテストで、はっきりいってレベルはそれほど高いものではありませんでした。

その頃ぼくは本業のかたわら帆船でボランティアクルーをしていて、1年のうちの1〜2ヶ月を船の上で暮らしていました。
そのご縁からある年の夏に大西洋を横断する帆船レースにクルーとして乗船することになり、その航海記を書いて賞をいただきました。

 

それまでも何度も帆船での航海は経験していました。
でもカナダからオランダまで大西洋を越えるその航海は初めてのことだらけで。。
何人もの仲間と一緒に初めての海を越える。
いくつものドラマが生まれて、そして自分の中にも様々な感情が生まれました。

その航海はぼくにはとても大切なものになったのです。

 

けれど、記憶は風化していきます。
航海のなかでぼくや航海を共にした仲間達が感じたことはあっというまに消え去ってしまいます。

どうしようもないことですが、それがどうしてもガマンできなかったのです。

航海日誌に残された航海距離や針路の記録ではなく、

海図に記された航跡でもなく、
美しく切り取られた一瞬の写真でもなくて。

明るい夏の光に照らされたデッキや深夜の当直の闇の中で。

乾いた海風に吹かれながら波頭に踊る陽の光のキラキラを眺めたり。

そんななにげない時間の中でぼくたちの見つけたそれぞれの夏があっさりと失われてしまうことが許せなかったのです。

 

だからこそぼくは書き残そうと思ったのです。
自分にとって、そして一緒に航海したみんなにとっても大切なその夏の記憶を。
ぼくは忘れてしまいたくなかったし、航海の仲間にも忘れて欲しくなかった。

だからぼくはみんなにプレゼントしたかったのです。
ぼくたちの航海の物語を。
そしてそれが形にできるのはぼくだけしかいない、そう思い込んでいたのでした。

能力があるとか経験があるとかそういうことではなく、思いの強さそれだけでも人は普段よりずっと強い力を出すことができる。
ぼくは今でもそう思っています。

 

 そして大西洋を渡ったあの夏から19年が過ぎました。

航海の仲間と自分のためにしか語ったことのなかった話を、こんどはもう少し大勢の人と語り合ってみようとイベントを行うことになりました。

なぜ、いまになって突然?
理由はあるようなないような。

でもいままでは話そうと思わなかったことがいまなら話せると思ったのです。

4月26日、下北沢でお待ちしています。

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根府川の海

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中学生のとき、茨木のり子さんの「根府川の海」という詩を読んでから、「根府川」という駅にあこがれていた。

その頃、兵庫県の尼崎市というところに住んでいて、神戸の学校に通っていてた。

海が遠いってことはなかった。

学校は山の上にあったので、教室の窓からはいつも海が見えていて。

繁華街からぶらぶらと歩けば港につく。

電車でいつもより30分ほど遠くに行けば、海水浴だってできた。

海沿いの公園はお決まりのデートコースだった。

 

第二次世界大戦が終わったのが茨木のり子さん19歳のとき。

東京の大学に通っていたその頃のことを書いた詩。

なんなら授業も聞かずに毎日海ばかり眺めていた中学生のぼくは、どうして海の詩なんかにあれほど惹かれたのだろう。

 

大人になって、東京で暮らし始めた。

根府川の海はいつも心の片隅にあったけど、小田原と熱海の間というのは毎日の暮らしからは微妙に遠くて。

東京は海沿いの街だけど、ただ生きるだけだと海を感じる機会は驚くほど少ない。

だからといっと特に不便なこともないけど。

 

ある日、ふと思い立って電車に乗った。

海に沿った崖の上にその駅はあって。

なにもない駅。思っていたよりずっとなにもない。

ホームに立つと見下ろす海だけはどこまでもただ広くて。

 

 沖に光る波のひとひら
 ああそんなかがやきに似た
 十代の歳月
 風船のように消えた
 無知で純粋に徒労だった歳月
 うしなわれたたった一つの海賊箱

 

それから30年近くが経って、いまもときたま根府川を通り過ぎる。

いつしかぼくは人生の一部を海で過ごすようになった。

それでも初めて駅に降りてみたときから、海はまるで変わらずそこにある。

理不尽で、きまぐれ。

そこで生きようとするととても厳しい海も、この駅から眺めるととても優しく感じられる。

もっと海に近い駅もいくつも見てきた。

もっと澄んだ海も、もっと明るい海も。

それでもやっぱりここからの海は、ぼくにとってはどこか特別な海。

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「なにをしている人かわからない」って言われた

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友達に「他の人になんて紹介したらいいのかわからない」と言われました。

確かに。

そもそもフリーランスでいまは会社経営だけど、どういうジャンルで暮らしているのと言われるとなかなか説明が難しい。

一番わかりやすい肩書で収入のベースになっているのは「舞台照明ディレクター」だけど、すでにこの仕事が普通の人には全くイメージしてもらえない。

それ以外に「帆船乗ってます」とか「船乗ってます」とも言うけど、これもわかりにくいしいわゆるプロ船員でもないので、説明がものすごくめんどくさい。

この間は、「わかりやすく言うと、帆船で大西洋を横断したことがあります」って説明したけど、ちっともわかりやすくないよね、これ。

このジャンルでも自分がやりたいことをひとことで表す肩書を考えてて、最近では「航海デザイナー」って試しに言ってるけど、どうしようもなく胡散臭い。

そしていま本屋を始めようと準備してるんです。

初対面でそんなこと言われてもなんだかわからないよね。

逆の立場なら絶対に!?ってなるわ。

 

これはパラレルキャリアってやつかと思ったんだけど、パラレルキャリアは夢や社会貢献のためのもので収入を得ることが目的ではないらしい。

まあ夢の実現ではありますが、収入も得たいんですよね。

海とか本とかでも。

まあ舞台も海も本も、パラレルキャリア的なものをひっくるめて事業化することを目指して会社を設立したんですけどね。

今年は舞台照明以外でもちゃんとお金を稼がないと…

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