海と劇場、ときどき本棚

2018年の7月に爆誕した何をするのかを模索しつづける会社「ひとにまかせて」代表のブログです

無邪気なひとへ

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最近、なんだかなあと思ったことがふたつ。

 

あるお芝居のPRで、出演者がみんなで食事をしている動画がアップされてました。
すごく気になったのが、みんな衣装でご飯食べてたこと。しかも和服で。

それもお弁当ではなくて賄いなので、お鍋から汁物とかよそっていて。

 

普通の人が見てもなにが引っかかるのか分からないと思うのですが、ぼくが育ってきた世界では衣装で食事することはNGなんです。

理由は単純で、衣装を汚すから。

着付けやメイク、髪型などのせいで衣装が脱げないこともありますが、上からなにか羽織ったり前掛けをしたりして、衣装を汚さないようにするのが常識、と思ってました。

もしその動画に出ている役者さんたちが商業演劇の現場に行って、そういうことをしてしまったら、まず確実に衣装さんにこってりとしぼられます。

 

とはいえ、PR動画としては悪くないんですよね。

もしかしたらそういう業界の常識を知った上で、動画を撮影した後でちゃんと衣装をケアして食事したのかもしれません。

そしてそもそも、商業演劇の舞台でギャラをもらうという、これまでの俳優としてのステータスすごろくに乗るつもりなんてないのかもしれません。

現実に、俳優としての生きる道もいままでよりもずいぶん増えました。

ぼくの常識がみんなの常識ってわけではなくなってきています。

こんなとき、老害ということばが思い浮かびます。

 

30年近く演劇ビジネス村界隈で生きてきました。

良くも悪くも村感のある業界です。

ほのぼのしていると同時に殺伐としてもいます。

 

業界の慣例とか。人間関係とか。

それなりにめんどくさいこともないことはない。

そんな業界なんですが。

 

ここ数年、即興演劇(インプロ)という新しいジャンルでもお仕事をする機会が増えました。

日本ではまだ普及していないジャンルなのですが、その分、関わっている人たちも若いです。

いろんな意味でハードルの低いジャンルなので、まだ学生でも気軽にショーを企画したりもしてます。

そしてそれなりに注目されたり、結果を出したりしていて、そこはとてもうらやましいなあと思います。

 

自分のやっていることに対して無邪気で屈託なくて、はたで見ていると幸せそうだなあと思う一方で、ちょっと脇が甘くて危なっかしいなあと思うこともよくあります。

具体的なお話はちょっと差し障るのでできないのですが…

あまりにも目の前のことしか見てないんじゃないのか、自分の行動が周囲からどう受け取られるか、ちゃんと考えてやってるのかなあって。

 

まあそういうことも含めて、いい意味でも悪い意味でも若いなあと思います。

そしてトラブルなんてあっても、大抵のことはなんとかならなくもないです。

ぼくだって、顔を合わせられない人とか、逆にあったらぶん殴りたい人とか何人もいますが、お互いになんとか暮らしてますから。
自分がやりたいことを他人に気兼ねすることなくやる。

いいことだと思います。

 

まあ、老害のたわごとですよ。

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大好きだけどね

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今日もお芝居の本番についていました。

全15ステージ中12ステージ目。

気分的にはかなり楽になってきました。

が、今日はちょっとぼけくのパフォーマンスよくなかったなあ。

演じられていることへの集中が少し足りなかった。

 

理由は分かっていて、おとといの夜に葦舟関係の人とミーティングして、今日は小屋入り前に友人のやっている本屋さんに行ったから。

多分ね、ぼくは集中力に難があって。

お芝居の世界でプロとしてやっていくためには、本番の期間中はその作品だけに集中する必要があるんだよね。

 

ずっと仕事をしていてそのことは分かっていて、だからお芝居中心の生活をしていたし、それがイヤでもなんでもなかった。

でもこの頃では少し考え方が変わってて。

お芝居のことはいまでも大好きだけど、いくつかあるやりたいことのひとつになったんです。

 

本番オペレーターの仕事を受けたくないのもそこ。

本番についているとどうしても生活の全てがその作品中心になってしまう。

でもね、それだと他のことが進まないんです。

だから、大好きだけど少しだけ距離をおきたい。

大好きだけどね。

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なんでシェイクスピアを演じるの?

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知り合いの演出家がやっている「ロミオとジュリエット」を観に川崎まで行きました。

駅直結のショッピングモールのなかにある劇場。

ショッピングモール自体も素敵な空間だし、劇場のサイズも手頃で悪くない感じでした。

お芝居も面白かったし。

 

演劇人としてはどうかと思うのですが、ぼくはシェイクスピア作品が好きじゃないんです。

正確に言うと、シェイクスピア作品を舞台化したものであまり面白いものに出会ったことがない、です。

 

「演劇」っていう言葉はとてもざっくりしていて、人によって持っているイメージがものすごく違っています。

まあ、だからこそ面白いとも言えるんですが。

だからこれはあくまでぼくの演劇の見方であり、そこからの感想なんですが。

 

ぼくにとっての演劇の魅力は人なんです。

ストーリーとかテーマではなく。

劇中の登場人物たちの感情や思いと、人前で身体をさらす俳優の覚悟が重なり合って、日常では出会えない、人の心の深みを感じさせる、そんなお芝居が好きなのです。

 

で、シェイクスピア芝居って概して、俳優と登場人物の融合が浅い気がするのです。

例えば最近流行りの2.5次元芝居(あっ、2.5次元キライじゃないですよ)とか最近関わることの多いインプロ(あっ、インプロ大好きですよ)とかを見ていて感じる不満。

「俳優が人物ではなくキャラクターを演じている」ような軽さ。

シェイクスピア芝居を見ていると同じような物足りなさを感じるんですよね。

そもそもが、登場人物の感情が劇中で動き絡み合って作られる「物語」ではなくて役割を与えられた人形が語る「ストーリー」のように感じられるんです。

シェイクスピア作品って。

 

今日、観劇した作品ではそこを乗り越えて、感情が直接届くような瞬間はなんどかありました。

でも全体としてはぼくには物足りないシーンのほうが多かったです。

構成とか、演出とかで、すごく工夫とチャレンジがあったのはわかりました。

そして充分に楽しめたんですけどね。他のシェイクスピア作品と比べると圧倒的に。

でもやっぱり「物語」ではなくて「ストーリー」を語られている感覚は拭えませんでした。

なんか、単純にぼくとシェイクスピア作品が合わないのかなと思ったりもしますが。

 

異論、反論歓迎ですし、むしろ誰かに教えてほしいくらいです。

なんでシェイクスピアを演じるの?

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下北半島

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「下北って言ったら下北半島のことですよ。わたしたちにとっては」

宮城県の方にそう言われてから、なるべく「下北」ではなく「下北沢」と言うようにしています。

 

下北沢と言うと演劇の街のイメージがあります。

本多グルーブの劇場だけで7つ。

他にも小さなライブハウスやライブスペースがたくさん。

 

この街に初めて劇場ができたのは40年前。

たったひとりの元映画俳優さんの、なんだかよくわからない情熱から生まれたところも、非常に演劇的ではあります。

 

久しぶりに下北沢に通っているので空いた時間に街を歩いていると、なんだか余白のない街だなと感じました。

路地の奥の小さなスペースや古いくたびれた建物まで、全てなにかのお店になっています。

大きなビルも少なくて、公園とかビルのエントランスロビーとか、お金をかけずにただぼんやりといられる場所が少ないなあって。

もちろん、それが下北沢という街の魅力なんですけどね。

でも、歳をとったせいかちょっと疲れますね。そういう街って。

 

下北沢駅の改装がそろそろ落ち着いてきて、これから街の様子も少し変わるのかな。

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時間はあっても

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ここしばらくブログの内容が舞台の話ばかりだとお思いの皆様。

その通りです。

その理由は最近では舞台の仕事ばかりしているからです。

そして舞台の仕事は拘束時間が長い!

一日の拘束が13時間くらいまでなら普通ってどうなってるのか?

 

前にも書きましたが、これまでは仕事の中心だった本番のチーフオペレーターのお仕事を減らそうと思った理由のひとつに時間のこともあります。

まあぶっちゃけると拘束時間長すぎだからです。

 

照明のお仕事は劇場に入ってから初日が開けるまでの数日間が一番ハード。

初日までのカウントダウンが始まるなかで、演出家も俳優も技術スタッフもやりたいことはてんこ盛り。

足りない時間をやりくりしながら幕を開けるためにがんばります。

この期間だと拘束13時間、実働12時間とかもそれほどめずらしくはありません。

 

初日が開けると時間的には少し余裕がでます。
夜の本番だけの日だと、16時くらいに劇場に入って21時くらいには帰路につく日もあります。

ただ、これは個人的な性格もあるのですが、心に余裕はありません。

体力とか精神力はできるだけ本番にとって置きたいので、空いた時間に出かけたりとかあまりする気にならないのです。

 

日本の演劇制作のシステムでは技術スタッフの仕事の仕方がとても属人的になります。

万が一、本番付きのスタッフが病気や怪我で倒れると、技術的に同等以上の人であってもその代わりを努めるのはとても難しいのです。

なので日常のすべてが普段よりも緊張感をたたえた感じになってしまいます。

 

そんなこんなで、本番についている間は時間があってもあまり他のことに使えない。

舞台の仕事だけをやっている時はそれでもよかったのですが、ここ数年、他のジャンルの活動も増やしていくなかで、オペレーター仕事をこれまで通りに続けるには、時間的にも精神的にも苦しくなってきたのです。

 

いまついているお芝居も初日が開けました。
これまでは連日10〜12時間くらいの拘束でしたが、明日は16時入りです。

しかしその時間までにエッセイ一本書かないと。

ブログ書いてる場合じゃないなあ。

間に合うのかなあ。

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半笑いの秘密

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一本のお芝居には様々な役割の人がいます。

実際にお客さんの前に立つ役者さん。

作品作りの中心になる演出家。

本番中の進行を司る舞台監督。

照明、音響、衣装、制作などなど。

 

作品作りはひと昔前までは「劇団」が中心でした。
演出家や俳優さんなどは劇団に所属。

技術スタッフは劇団所属の場合もあるし、外部スタッフを雇うこともありました。

最近ではプロデューサーや演出家が中心になって企画を進め、作品ごとに俳優やスタッフを集めて公演を作る「プロデュース公演」と呼ばれる形も一般的になりました。

 

技術スタッフは劇団や演出家、プロデューサーからお仕事の依頼がきます。

なのでいろいな劇団や演出家さんの作品に関われるのです。

 

いま関わっている作品ではぼくは本番オペレーターという本番中の照明操作を担当しています。

本番付きのスタッフはスケジュールなどの都合でしょっちゅう入れ替わります。

 

本番についていると舞台監督さんや演出部さん、音響さんなど、他セクションのスタッフと仲良くなることも多いです。

ツアーに出ると長い時間を過ごしますし、一緒に食事する機会などもあります。

東京でも作品の立ち上げではスタッフ同士で相談することもたくさんあるので、コミュニケーションを取る機会が増えます。

 

けれども、いちど一緒に本番についてもその後全然会わない人もいます。

今回、一緒に本番に付く音響さんも確か8年ぶりくらい。

顔を合わせて挨拶して

「前に〇〇(劇団名)でご一緒しましたよね」と

確認しあったあとでなぜかふたりとも半笑いに。

 

作品ごとにいろいろな思い出やイメージがあります。

一緒に本番についた人と会うと、その当時の感覚が蘇ります。

そして当事者にしか分からない雰囲気が。

 

立ち上げまでがとても大変な作品だと、

「あの時は大変でしたよねー」みたいな雰囲気になります。

もちろん、

「あれ、楽しかったですよねー」

ということもありますし、

「ひどいめにあいましたねー」

というのもあります。

まあいろんなのがあるんですが、今回、ふたりで共有した感覚は半笑い。

 

なんで半笑いなのかは秘密。

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小さな奇跡のその後で

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とまあ、3年前にひとつ前のポストで書いた小さな奇跡があったのですが、本当に大切なのは奇跡の後をどう過ごすかなんじゃないかと思うのです。
物語のように、奇跡が起こって幕が降りるなら幸せなのですが、現実はそんなことはなくて。

ひとたび奇跡が訪れたとしても、現実との戦いはそれからもずっと続くのですし。

奇跡の当事者、劇団ハタチ族の西藤将人さんはいま、全国47都道府県+島根県19市町村ワンマンツアーというひとり芝居のツアーを実行中です。

2015年の大晦日の後もいろいろなことがあって。

東京公演の舞台は北池袋の小さなシェアアトリエ。

お客さんは10人。

 

でも、もっと小さな場所で演じたこともあるし、もっとお客さんが少なかったこともあったとか。

それが彼のいまの位置。

 

公演が終わってから他のお客さんも交えていろいろな話をしました。

3年前と彼のお芝居はかなり変わっていて。

とても心地よいほうに。

 

3年前の彼はぼくにとって、ただ365日毎日公演をやりとげた劇団の主宰者というだけでした。

それだけでもとてつもなくすごいことなんですけどね。

でももっとすごいのはそこで終わらなかったこと。

 

久しぶりに彼の芝居を観て、話をして。

彼がとても自分に真摯にこの3年間を過ごしてきたのだと感じました。

 

自身の俳優としての価値も上げつつ、「雲南市に演劇テーマパークを作る」という戯言も語り続けて。

俳優としては凡庸だと感じていました。

演劇テーマパークはスローガンとしては面白いけど内容はふわっとしていてよくわからないと思っていました。

 

でもね。ちゃんとステップを上がっていたんです。

小さな奇跡のその後で。

俳優としてもとても魅力的になったし。 

彼が作ろうとしている未来にも心が震えるし。

 

小さな奇跡はどんな人にもときたま訪れる。

当事者だったり、観客だったり。 

いろんな立場とタイミングで。

でもね、本当に大切なのはその後でどう生きるか。

彼を見ていて、そう思ったのです。

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小さな奇跡

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島根県、雲南市の劇団「ハタチ族」の西藤将人さんが一人芝居で全国を回っていて、東京でも公演があったので観に行きました。

 

西藤さんと知り合ったのは仕事の関係でも何でもなく本当にたまたま。

 2015年に西藤さんが所属する劇団「ハタチ族」は365日公演という企画を行いました。

一年間、毎日雲南市のどこかで芝居が上演される街を目指すという、はっきり言うと無謀なプロジェクトでした。

西藤さんともハタチ族ともなんの繋がりもなかったのですが、知人の俳優さんがこの企画とクラウドファンディングをSNSで紹介しているのを見て興味を持ちました。

 

faavo.jp

 

いまクラウドファンディングのページ見返したら

一番安い1,000円コースのサポートだった

ゴメンナサイ……

 

クラウドファンディングに参加したのが2015年の1月8日。

そしてその時点での興味は確かに1,000円分くらいだったのかもしれません。

6月の中旬、クラウドファンディングのリターンのチケットを握りしめて島根に。

そこから西藤さんとの関係が始まりしまた。

 

公演場所はJR木次線の木次駅駅前にあるチェリヴァという複合施設の一階ロビー。

ちなみに木次駅の時刻表はこんな感じ。

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かなりのローカル線です。

ちなみに泊まりは松江に取ってましたが、本番終わると電車で帰れないのでレンタカー借りました。

 

ぼくが観に行った日のお客さんは18人。
普通の公演だとなにそれってレベルですが、平日で、公共交通機関だと行けない時間帯で、過疎に悩んでいる小さな町で、半年間毎日公演を続けてきて、の18人。

この条件でこれだけの人が集まっていることに驚かされました。

 

それからも毎日公演は続き、もう一度応援しに行きたいと思いながらも島根は遠くて。

なかなか機会もないまま時間が過ぎていきました。

 

そう。観に行きたいのではなく応援しに行きたいと思ってたんです。

 

正直、お芝居のレベルは平凡に感じました。

よくもなく悪くもなく。予想していた通りだったとも言えます。

 それでも、毎日公演を続けるにはとてつもないエネルギーが必要なのはわかりきっていました。

評価するべきなのはクオリティーではなくてチャレンジ精神。

ぼくだけではなく、365公演を観た人のほとんどはそに共感したのだと思います。

どこにメリットがあるのかも分からないことに挑戦する姿に。

 

365日公演会場のチェリヴァには実はキャパ465人のホールが併設されています。

千穐楽、12月31日にはそのホールでの公演が予定されていました。

普段の観客は20人前後。ひとけたの日も時々あるくらい。

のべ動員人数は多くてもリピーターが多くて。

465人のお客さんを動員するのには苦戦が予想されていました。


この年、ぼくの仕事納めが12月27日。
大晦日に島根に行こうとは思っていたもののなかなか予定が確定しなくて、行けることがはっきりしたのが割と直前。

 

ぼくの予想だとキャパ465人だけどお客さんは250人くらいかなと。

300人超えたら上出来だと思っていました。

実際、SNSを見ると、4日前でまだ300枚くらいチケットありとなってました。

つまり、半分も席が埋まってないということ。

だからチケットの予約もせずに島根に向かいました。

 

直前にかなりいい勢いで予約が入っているらしかったのですが、まさか4日で300枚売れるとも思ってなかったし、売切で入れなかったらそれはそれでおいしいと思ってもいました。

 

31日。この日は13時開演。

朝の時点でまだ100くらいは残席があるとのアナウンスもありました。

予想よりはずいぶんと売れてるけど、まあ満席にはならないだろうと思いながら電車で木次に移動。

以前に乗った時はガラガラだった木次線がかなりの混雑。

あれ、まさか。

そして木次駅で乗客の大多数が下車して向かう先はチェリヴァ。

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なんかもうこの時点でワクワクが止まりませんでした。

ただお芝居を見るためだけに、田舎のなんでもない場所に続々と人が集まってる!

 

12時25分頃に当日券を購入。

自由席なのでさっさとなかに入る。

この時点でそこそこ混んでいたけどなんとか座席を確保。

その後もどんどんとお客さんがやってくる。
客席に組んであったスタッフブース、横2列全部確保してあったのを、両脇ギリギリまで開放してお客さんを入れ始めた。
座席がほぼ埋まったのにお客さんが止まらない!
立ち見客がどんどんと増えていく。

お芝居が始まる前から、うるうるしてきた。

 

動員527名。

 

小さな街を拠点に活動していて、それほど知名度もなく、劇団員が大勢いるわけでもなく、バックアップしてくれる組織があるわけでもない。

そんな劇団が1ステージで集めた人数としては破格。

そしてつい数日前までは半分も売れていなかったチケットが400枚近く売れた。

もう小さな奇跡と言ってもかまわないよね。

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「演劇」という ジャンルそのものが、とても不思議な存在。
同じ台本を毎日演じていても、そこで生まれるものは毎日違っていて。

どのような手段でも記録することはできず、ただ時間と空間を共有した人たちだけが体験できるぜいたくではかないもの。

制作する側から見るとコスパが悪くて、お客さんから見ると不便。
なのにたくさんの人に愛される。

 

なぜ人は劇場に足を運ぶのだろう。

映画館でもいいじゃないか。テレビでもネット動画でもいいじゃないか。

普通に考えればそう思う。

それでも劇場でしか観ることのできない何かがある。

物語ではなく、作品でもない。

俳優、なのかもしれないけどそれだけではなくて。

多分、お客さんが求めているのも小さな奇跡なのかもしれない。

ぼくはなんとなくそう思っている。

 

2015年12月31日。

島根県の片田舎の町で生まれた小さな奇跡。

その場に立ち会えたのはとても幸せなことだった。

そしてそこから、新しい物語が始まる。

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演劇の人

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基本的には逃げる人。

今年の3月には連載エッセイでも逃げた話を書いた。
読み返してみたらけど、我ながらけっこういいこと書いてないかな?

 

ordinary.co.jp

 

東日本大震災と阪神淡路大震災。

二度の地震のとか、それをキッカケにしてぼくは逃げた。

おかげでぼくの世界は広がって。

そのことはむしろ、とてもよかったと思っているのだけど。

 

昨日、あるお芝居を見ていてふと思った。

7年前の3月にぼくは逃げたのではなく信じられなくなったんじゃないか。

演劇の力を。

いやもっと正確には演劇の人としての自分を。
「この世界に演劇なんてものは本当に必要なの?」という、ずっと繰り返されてきた問いかけに答えがみつからなくて。

 

ぼくは逃げる人。

逃げることで遠くまでたどり着いた人。

でもそうだったのかな?

7年前、もしかしてぼくは逃げたのではなくただはぐらかしただけじゃなかったのかな。

演劇の人であることを真正面から受け止めている人を見て、なんとなく思ったんだ。

 

こんなこと考えてても仕方ないんだけどね。

でかけます。

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芝居は生き物

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来週から始まるお芝居の通し稽古を見に行きました。
通し稽古とは、稽古の最後の段階で、トラブルがあっても、最初から最後まで基本的には止めない稽古です。
それまで、シーンごとに稽古してきたものを、一本のお芝居として見たときにどう見えるのかをチェックするための稽古です。


今回は3回目の稽古でした。
最初は10日ほど前。
その次は3日前。

  

 

最初に見たときはうーん、っていう感じでした。

今回だけではないのですが、早い段階で通し稽古を見ると、たいていまずいなあって感じになります。
でもそこから一週間くらいの間で芝居って見違えるほど変わるんですよね。
セリフや動きが大きく変わっているわけではないのに、見ている側の印象がまるで違う。
お芝居って生き物なんだなと感じます。

 

今回は即興演劇ということで、もともとやるたびに出来がまったく違うのですが、初回はうーん、そして二回目は途中で打ち切られて、通し稽古なのに通らないという、ぼくのお仕事のなかでもちょっと記憶にないことが起こりました。

ちょっと心配して今日の稽古に臨んだのですが、まじでかなりよいできでした。
芝居って面白いな。

あらためてそんなことを感じたりして。

 

写真は最初に見に行ったときにいきなり目の前でポーズを取り始めたヤバイ人たち。